「うるわしの五月‐若葉の金峯山‐(1)」 からのつづき
藤沢さんにとって金峯山は懐のような存在であっただろう。「海坂藩」には金峯山を思わせる山がしばしば登場する。ここでは『三月の鮠(はや)』を紹介したい。城下の西を流れる川をさかのぼっていくと丘に突き当たる。その丘は小高い山を背にし、小楢(こなら)やえごの木、また欅(けやき)の大樹などの林を抜けてゆくと杉の木立ちに囲まれた社があらわれる。旧暦の3月は今の4月中旬から5月の季節である。『三月の鮠』には5月の金峯山と神社を連想させる箇所がたくさんでてくる。たとえば、
「新緑を日に光らせている木木の斜面はかなり急で、傾斜の先は眩しい光が澱む空に消えている。」
「社前の、砂まじりの広場は塵ひとつなく掃き清められていて、杉の巨木に取り囲まれた神域は少し暗く、すがすがしい空気に満たされていた。」
など金峯の登山道や神社が浮かんでくる。この神社の別当は「神室山」の本社から派遣された山伏である。神室山はこの地方の山岳修験の聖地で、この小説の女主人公はこの山へ逃げようとしたが、追っ手の目をくらますためこの城下近くの山へ身を隠したのである。かつては修験場として栄えたという金峯山のイメージを彷彿(ほうふつ)させる。他の作品にも多く登場する金峯山は「海坂藩」の重要な舞台となっているのである。