「私が生まれた山形では、五月は一年の中でもっともかがやかしい季節だった。野と山を覆う青葉若葉の上を日が照りわたり、丘では郭公鳥が鳴いた」(『ふるさとへ廻る六部は』より)
長い冬から解放され、木も鳥も生命を輝かせる北国の5月。こいのぼりがはためき、残雪の月山はまぶしい。藤沢さんにとっても5月が思い出多い季節なのである。田植えの思い出もある。農家の次男坊として育ち、無口で働き者の父を尊敬していた。ご自身、よく働く少年だった。写真に写った留治少年は、りりしい。
また、5月は山菜採りの季節でもあり、筍(たけのこ)もとれる。金峯山の麓(ふもと)に育った少年にとって春の山は格好の遊び場でもあった。エッセイ集『半生の記』には、こんなふうに記されている。
「またあるとき、私たちは年長の友だちに連れられ、一列になって丘の麓にある杉林の奥を歩いている。そして細い脇道にはいって傾斜をのぼって行くと、やがて池とも言えない小さくて澄んだ水をたたえた水たまりに行き着く。そこには山椒魚(さんしょううお)が住み、つい最近卵を生んだばかりなのだった。細長い半透明のゼラチンのような卵の内部はいくつかに仕切られていて、その中に勾玉のような形をした黒く小さい山椒魚の子がいた。」
金峯山はその懐に子供らを誘い、遊ばせてくれるところである。鶴岡や近在の町、村の子なら、1度や2度は金峯山に登っているだろう。我が家の子たちも自転車で金峯山に出かけては甲虫(かぶとむし)の幼虫を捕ってきたりした。羽化するまでのワクワクする思い出も金峯山がくれたものだった。