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藤沢周平書籍作品あれこれ

寺のある風景(2)

「寺のある風景(1)」 からのつづき

藤沢さんの生まれ故郷にある洞春院。作中のお寺のイメージはこうしたところから生まれているのだろうか

「天保の義民」を扱った『義民が駆ける』では、遊佐の玉龍寺の文隣という和尚さんが川北三郷のリーダーとして活躍している。学問を修め、人の生死にかかわってきた人として和尚さんは何かと頼りにされ、尊敬されてきたのだろう。

このようにお寺が重要な役割をする話が多い中でも『紅の記憶』と『木綿触れ』の2作品が印象深い。

『紅の記憶』に出てくる寺は「豪勝寺」という。

「豪勝寺は、殿岡村の一番奥まった場所、丘の麓にある。綱四郎がついた時、時刻は七ツ(午後4時)を過ぎたようだった。眼に濃淡さまざまの緑を映してくる野道を歩いている間に、頭の痛いのが癒えていた。」

この殿岡村は城下から30丁ほど南にある村である。ここに住む殿岡甚兵衛と娘の加津がこの小説の中心人物である。加津は女ながらも雉町にある日詰道場で一刀流を習い、城下でも有名である。この父娘は、藩の大腫(は)れものといわれた悪徳な上役を暗殺しようとするが失敗し、二人とも命を落とす。暗殺を決行する直前、加津は許婚(いいなずけ)の綱四郎を豪勝寺に呼び出す。引用文は綱四郎が寺に着いたシーンである。加津は死を覚悟し、自分の夫となるはずの男に一夜の妻にしてほしいと迫るのである。この豪勝寺のイメージは、井岡の井岡寺とも高坂の洞春院とも取れる。

一方『木綿触れ』では、藩の倹約令を破って絹物を着て法事に出た女が、寺で悪い男に見咎(とが)められたことから悲劇が始まるという話で、ここでも寺が重要な場所となっている。

余談だが、『紅の記憶』に出てくる日詰道場の名は、藤沢出身の「日詰さん」が小菅留治先生の教え子であることから、浮かんだのかもしれない。今となっては作者に聞くすべもなく、残念である。合掌するのみである。

(筆者・松田静子/鶴岡藤沢周平文学愛好会顧問)
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