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藤沢周平書籍作品あれこれ

学校・そして友だち(1)

現在の黄金小学校へ至る通学路。希望を胸に子どもたちが元気に通学する

藤沢周平さんのエッセイ集『半生の記』には「学校ぎらい」という章がある。青龍寺尋常高等小学校(現・黄金小学校)は丘の中腹にあった。木造2階建てで鉤(かぎ)型の校舎だった。東側の正面は眺望が開けて、月山や一面の田圃(たんぼ)が見える。いかにも昔の「学校」という感じの建物だった。今は新築され、藤沢さんが通った学校はない。

小菅留治少年はこの小学校で「勉強嫌い」で「遊んでばかり」の日々を送ったと書いている。5、6年生のころは活字中毒の様相で、暇さえあれば本を読んでいたという。しかし「学校嫌い」と言いながら、入学のときから高等科に至るまでの学校生活を、こんなに良く覚えている人はいないのではあるまいか。友人との遊び、読んだ本の内容ばかりでなく、担任の先生の姿や授業の内容など細かに記憶しているのには驚かされる。本当は学校大好き少年だったのではないだろうか。成績も優秀だった。「授業中も机の中に頭を突っ込んで」本を読んでいる少年を黙って許してくれるような大らかさが当時の学校にはあって、少年の居場所がちゃんとあった、ということが何よりも大切なのかもしれない。留治少年の豊かな感受性がこの小学校で養われたのは確かである。

学校は藤沢さんにとって特別な思いのある場所である。師範学校を卒業し、湯田川中学校の教師となったのも束(つか)の間、病を得て、2度と戻れなかった場所でもあるからだ。また、鶴中時代や師範時代は「青春」という、かけがえのないときをそこで過ごしているので、想(おも)いも一際深いことだろう。

「学校・そして友だち(2)」へつづく

(筆者・松田静子/鶴岡藤沢周平文学愛好会顧問)
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