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藤沢周平書籍作品あれこれ

藤沢周平の作品における風景

1 女たちのいる風景

◇おわりに

以上のように、作品の中から女を取り上げてみたが、ここに引用した作品以外にも、多くの魅力ある女がいる。庄内を舞台にした作品の『春秋山伏記』には、働き者の百姓の女や、気だてはよいが少々色欲的な女や、狐にとりつかれる娘やらが出てくる。山の村の暮らしや風物が懐かしく、方言も生き生きと使われている。庄内の女は働き者であり、可憐である。「働く女」で紹介した『用心棒日月抄』に出てくる女忍者の佐知も、生まれは北国、この荘内藩を思わせる処で育っている。又八郎との会話に、国元の食物の話が出て来る。赤カブの漬物、生きのいい魚など海山の幸をほめている箇所が出てくるが、こんな描写の中にも、佐知という北国生まれの女が、非情な幕命のなめに江戸の人の渦の中に暮らさなければならぬ運命を読者に感じとらせる細やかさがある。

また『ただ一撃』という作品は、やはり荘内藩をモデルにした北国の小さな町が舞台となっていて、ここには温和しくて明るい嫁が出てくる。この嫁は結局養父のために死ぬのであるが、この女も「耐える女」の1人である。

他にも、『橋ものがたり』という秀作がある。ここには江戸大川端に生きる職人や水茶屋につとめる女たちを主人公にした情緒あふれる小品が何編か収められている。橋の上で出逢い、別れる男と女。貧しいために身を売って親兄弟を養う薄幸な女がふと拾う、束の間の幸福などなど、市井の人間模様の中で、心のやさしい女たちを描く作者の眼はあたたかい。『周平独言』の中で、「随筆などを読んでいると、何げなく書かれた一節から、当時の江戸がありありと見えてくることがある。時代のぬくもりが、肌に伝わってくる一瞬である。」と述べているが、氏の作品によって私たちはそれを感じとることができるのである。

小説の中には1回読むと、二度目は退屈して読む気がしなくなるものも多い。しかし、すぐれた文学作品は何度読み返しても、その都度新しい発見や感動がある。私における藤沢作品は、この「読み返し」ては発見し、一層好きになる類の小説である。今回は、女がどう描かれているかを中心に読み返したが、読みながらまた別の視点でまとめてみたいことがらを発見した。氏は、小説を書く前に俳句を作っておられたという。『一茶』という、俳人の心情を鋭く抉った作品も、俳句に携わったことのある人ならではの秀作である。俳句のことは謙遜して、下手だと書いているが(『周平独言』)、小説の中で風景を描写するとき、俳人としての目で捉えた風景への切り込みが確かにあるように思う。俳人として、というより詩人としての目、というべきであろうか。橋のむこうに浮かぶ江戸の町、その上空の雲間からさす陽の光の脚-幾時代を経ても、人間の目がとらえる瞬間の風景は同じである。そう思わせる風景描写をいくつも見つけることができる。

人間の目を通して、ものを見るのであって、そのときどきの心のありようで、風景は違って見えてくる。どんなに時代が変わっても、人間の心のありようは変わらないように、人間の目がとらえた風景も変わらないものがある。そうした普遍的なものに出逢う時の心の安らぎこそ、小説の中に本来あるべきものなのではないだろうか。「女」の描写も然りであり、時代小説であっても、現代小説であっても同じだといえよう。

ふるさとの風景「はじめに」へ続く 

(筆者・松田静子/鶴岡藤沢周平文学愛好会顧問)
海坂かわら版
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