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藤沢周平書籍作品あれこれ

藤沢周平を語る

作品の魅力(中)

あとは市井もので、やっぱり金も力も名誉も地位もない庶民たちがその日暮らしをしていて、そのような生活に何かの不幸が訪れた時、例えば父親が足場から落っこちて怪我をしたりするとたちまち一家が食うに困って結局娘が身売りをしなければならない運命であるとか、そういうぎりぎりの所で生きている庶民生活が描かれています。現代の私達は生きていくうえでいろんな贅沢を望みすぎているんじゃないかと思われるような、そういうぎりぎりのところで生きる人間の哲学みたいな面白さも読ませてくれます。市井ものでは殆ど江戸時代のものですね。江戸時代でないものも多少ありますけど元禄年間から幕末まで出てきます。

二つ目は武家もの。これはいわゆる海坂ものが多いのですけれど、中には、例えば『用心棒日月抄』のように、武士であるけれども浪人して江戸に暮らして裏長屋の生活をしている江戸ものもあります。それから『よろずや平四郎活人劇』という作品。この平四郎の置かれた立場なども用心棒と似ています。侍であるけれども市井ものと混ざっているというものもあります。

三つ目の史伝ものというのは、清河八郎の伝記を書いた『回天の門』とか、米沢藩の上杉鷹山公のことを書いた『漆の実のみのる国』とか、それから新井白石のことを書いた『市塵』であるとかが、これに当たります。

大きく三つに分けられていますけれども、藤沢周平さんはどれにも力を注いでいるんですが、作家として名を成した以後はどちらかというと史伝ものにかなり力を入れています。資料を集めて綿密に調べて書くということがとても面白くなったらしくて、遺作になった『漆の実のみのる国』は膨大な資料を集めて、残念ながら途中で病状が思わしくなくなり、未完成のような感じになりましたが、資料を集めて調べる作業は好きだったんですね。学者肌のところがあったんじゃないかと思います。ですから、鶴岡の図書館であるとか、酒田の図書館であるとか、史料館などには随分通っていろんな資料を集めて、とにかくあちらこちらの史誌を随分読まれたようなんです。評論家の中には史伝はあまり面白くないと、ちょっと藤沢さんの作品の中では史伝は読まないことにしているという人もいるみたいなんですけれども、藤沢周平さんが一番力を入れて書きたかったのは史伝の部分だったのではないかと思っています。もし、長く生きていらっしゃれば、そういった史伝ものの方で大家になっていたかも知れません。司馬遼太郎さんなんかとはまた違う面の史伝作家になっていたのかなあというふうに思いますが、それは私にはちょっと窺(うかが)い知れない世界です。

「藤沢周平を語る5 作品の魅力(下)」へ続く 

(山形県高等学校司書研修会講演より)

(筆者・松田静子/鶴岡藤沢周平文学愛好会顧問)
海坂かわら版
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