2024年(令和6年) 4月25日(木)付紙面より
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昭和から平成にかけて身近な存在だった鶴岡市街地を流れる内川の思い出を語り合う「ちょっと昔の内川探訪~なつかしの内川伝承活動~」が23日、市総合保健福祉センターにこふるで開かれた。市民たちが座談会形式で「昔は内川でウナギがとれた」「川で子どもが遊ぶ光景が見られなくなって久しい」などと話し合った。
NPO法人公益のふるさと創り鶴岡(國井美保代表理事)主催。内川の昔の様子を知っている人から話を聞き後世に残すため記録するとともに、座談会の中からまちづくりやにぎわい創出のヒントを見つけようと企画した。
同NPO関係者のほか内川近くに住む市民、大鳥や三瀬地区などから10人余りが参加。お菓子や飲み物が用意されたテーブルを参加者が囲み、和気あいあいとした雰囲気で進められた。参加者たちは1986(昭和61)年の地図を見ながら「約40年前は川端通りにずらりと飲み屋が並んでいた。平成に入ると店舗はどんどん減り、今では店が一切なくなってしまった」と話した。
ある参加者は「鶴岡市民が内川にあまり興味を持たない理由を考えると、“川端通り”という名前が付いているのに通っても植え込みなどが邪魔して川が全然見えないからではないか」と指摘。「護岸が整備されたのは良いことだが、水面と高低差が大きくなった。橋の上からでないと川が見えない」と述べた。
また、「昔の内川は現在よりもはるかに水深、水量ともあり、とうとうと流れる川でウナギがとれた。天然のものは多くが太平洋側に向かい、日本海側で育つのはわずか。ウナギの需要が増えるにつれ、内川でとれる分では間に合わなくなったようだ」「昭和30年代の内川は藻が非常に多く、下流から藻刈り船が来てきれいにしていた思い出がある。船の前方には機械式の大きな刃があった」などと思い出話に花を咲かせていた。