2025年(令和7年) 4月29日(火)付紙面より
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鶴岡の春の味覚「湯田川孟宗(もうそう)」の収穫が27日に始まり、鶴岡市湯田川にあるJA鶴岡の集荷所に朝掘りのみずみずしい孟宗が次々と持ち込まれた。集荷された孟宗の直売は今季から、同市白山のJA鶴岡ファーマーズマーケットもんとあ~る白山店に変更され、販売初日のこの日は市内外から「湯田川孟宗ファン」で店内があふれた。
湯田川孟宗は豊作の「表年」と不作の「裏年」が繰り返され、今年は裏年に当たり、収穫量は昨年の約17トンに比べ半分以下の約6トンと見込んでいる。5月上―中旬が集荷のピークという。
今シーズン初集荷のこの日は午前6時過ぎから、JA鶴岡湯田川孟宗部会(佐藤久男部会長、会員93人)の生産者が次々と掘りたての孟宗を集荷所に持ち込んだ。初日の集荷は383キロで、裏年だがまずまずの初集荷量。このうち約130キロがもんとあ~る白山店に運ばれた。佐藤部会長(75)は「収穫量が心配だが、朝掘りの新鮮で柔らかくてえぐみのない、おいしい孟宗を今年も楽しんでほしい」と話した。
もんとあ~る白山店では、店内に湯田川孟宗の直売コーナーを設けた。この日は午前9時の開店を前に100人ほどが並び、開店と同時にコーナーを目がけて買い物客が殺到した。一番乗りで同7時過ぎに訪れて開店を待った南陽市の佐藤幸次さん(63)は「ネットで販売を知り、初物を求めたくてきた。たくさん買って知り合いや近所にお裾分けしたい」と話していた。
販売は当日の入荷分がなくなり次第終了。問い合わせは同店=電0235(25)6665=へ。
2025年(令和7年) 4月29日(火)付紙面より
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名曲として歌い継がれている「雪の降るまちを」(中田喜直作曲)のメロディー発想の地・鶴岡を示す木碑が、鶴岡市の鶴岡公園疎林広場から同市斎地区に移設された。木碑を譲り受けた斎地区自治振興会(佐藤秀雄会長)は腐食した部分などを修繕し25日、斎小学校体育館で地域住民へお披露目した。
木碑は、1971(昭和46)年ごろにJR鶴岡駅前へ設置された。中田氏を鶴岡へ招いた斎地区の菅原喜兵衛氏(1903―98年)がケヤキの木を提供して建立。75年に鶴岡公園の大寶館前に移転された後、95年に疎林広場へ記念モニュメントが建立された際、木碑は腐食が進んでいたため2代目がモニュメントのそばに建てられた。その後30年が経過して2代目木碑も腐食が進み、昨年11月に撤去された。
撤去を聞き付けた斎地区自治振興会が市と協議した上で木碑を譲り受けることとなり、地元工務店に依頼して加工した。直径約50センチの円柱だった碑の上下部分をカットし、「雪の降るまちを」と表記された面を残すよう縦に切断。腐食した部分は木片を付け替えるなど修繕し、今年3月に完成した。さらに自治振興会関係者が薄くなった文字部分を白ペンキで書き直すなどした。この結果、碑は高さ約2・6メートル、幅約40センチ、奥行きは6・3センチで「大きな表札のような形」に生まれ変わった。
この日、PTA総会に先立ち木碑のお披露目式が行われた。5年生13人がミュージックベルで中田氏作曲の「めだかの学校」を演奏した後、自治振興会の佐藤会長が「斎地区は2020、21年度に市の地域まちづくり未来事業で『雪の降るまちを』記念碑建立などに取り組んできたこともあり、事業の延長として木碑を再生、活用することにした」と紹介した。
また、自治振興会相談役の菅原一郎さんがこれまでの経緯を語り、「木碑は斎小の玄関脇の壁に掛けるだけでなく、スタンドに立てて飾ることもできる。地域のイベントに貸し出すこともできる」と解説した。