2023年(令和5年) 12月30日(土)付紙面より
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科学技術をけん引する人材の育成を目的にした科学技術振興機構(JST)の支援制度「ジュニアドクター育成塾」に取り組む全国の受講生たちが自らの研究を競う「サイエンスカンファレンス2023」で、東北公益文科大学(酒田市、神田直弥学長)による教育プログラム「ジュニアドクター鳥海塾」の塾生、吉村奈夏(なな)さん(15)=酒田一中3年=が上位10人に与えられる最高賞「研究発表大賞」を受けた。吉村さんは「全国で10人のうちに入ることができてうれしい。誰もが利用できるよう、より洗練していきたい」と話している。
JSTの「ジュニアドクター育成塾」は、これからの科学技術をけん引する人材の育成に向けて能力の高い小・中学生を発掘し、その能力をさらに伸ばすために設けた支援制度。公益大が応募した「鳥海山の頂から世界をめざせ!地域の未来を情報技術で切り拓(ひら)くジュニアドクター育成塾」が2021年に選定され、同年8月に開講した鳥海塾は「人・自然・社会・歴史的財産の価値を見出し、新しい情報技術との橋渡しのできる人材」が育成像。まずは情報技術やパソコンを使いこなすため、広瀬雄二公益大教授(情報処理)の指導でプログラミングの基礎知識を身に付ける。その後、神田学長はじめ公益大メディア情報コースの教員らによる講義で情報技術や心理学、観光、宇宙など幅広い分野への関心を高めている。1期あたりの受講生は最大40人。このうち優れた研究を繰り広げている10人は2年目以降も活動を継続し、専門演習(ゼミ)形式の講義などでより高みを目指す。
吉村さんは21年に入塾した1期生で翌年春、第2段階に「進級」。「多くの場所に貢献できる地域活性化WebVRの構築」をテーマに掲げ、広瀬教授、ゼミ生のお兄さん、お姉さんの指導を受けながらブラウザ上でVR(仮想現実)体験ができる技術「WebVR」を用い、市中心商店街の活性化・魅力向上に取り組んでいる。
今年のサイエンスカンファレンスは11月4、5の両日、東京国際交流館プラザ平成で行われ、吉村さんを含め全国から集まった受講生29組がそれぞれ、自らの研究を10分間でポスターセッション。広瀬教授によると、吉村さんの研究に関して審査員からは「ビジョンがしっかりしており、発展性がある」と高評価を受けたという。
今月に入って中・高校生を対象にした情報処理学会でも研究発表した吉村さんは27日、神田学長、広瀬教授、阿部周酒田一中校長らと共に市役所を訪問し矢口明子市長に結果を報告した。
矢口市長は「酒田には鳥海塾のほか、酒田光陵高校情報科、公益大メディア情報コースがあり、情報に関する人材が多くいるということをPRしている。力が発揮できるような企業の誘致を図りたい」と。吉村さんは「中心市街地が完成したら、別の地域でも構築するなど、多くの場所の活性化に貢献したい。将来は情報系の仕事に就けたら」と話した。
2023年(令和5年) 12月30日(土)付紙面より
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奥州藤原氏の重臣として庄内南部一帯を治めた武将「田川太郎行文(ゆきぶみ)」の縁で、鶴岡市の田川地区と、岩手県一関市東山町田河津(たこうづ)地区の交流が始まった。両地区には、源頼朝の鎌倉軍勢と戦い討ち死にした行文の墓の伝承があり、「田川」は一関の田河津の地名の由来ともされている。今秋には、田川地区住民でつくる「ぶら田川隊」のメンバーが初めて田河津へ視察研修に訪れ、地元関係者と交流。互いに800年の時を超えた縁に思いを巡らせ、今後の交流進展を誓い合った。
田川氏一族は平安時代後期、郡司に任命され、田川地区を拠点に栄えた豪族。奥州藤原氏と源頼朝の鎌倉軍が争った1189(文治5)年の奥州合戦で、藤原氏4代泰衡(やすひら)の重臣だった行文は、新潟を経て鼠ケ関から進軍してきた比企能員ら鎌倉軍の軍勢に敗れて討ち死にし、一族は滅亡したとされる。
行文の家臣・曽我三郎は、さらし首にされた行文の首をひそかに持ち帰り、藤原氏の拠点・平泉が一望できる束稲(たばしね)山の麓に埋めた。この場所は「田河座」と呼ばれ、現在の田河津の地名になったとされる。さらに、行文を弔うため庵(いおり)を結んだ場所が曽我寺と伝えられている。
田川地区には行文の墓や田川氏一族の墳墓群、館跡などが残り、田川地区自治振興会は田川太郎の歴史にスポットを当てた地域づくりを進めており、地元有志による「ぶら田川隊」を中心に研究や発信などの取り組みを続けている。そうした中で行文とつながる田河津の歴史を知り、10月26日に同隊メンバー12人が訪れた。
地元の矢の森自治会の菅原理会長らの案内で、曽我寺址を訪れ、静かに手を合わせた。引き続き同自治会と懇談会を行い、郷土史に詳しい、いわて東山歴史文化振興会の佐藤育郎会長が奥州合戦や行文にまつわる歴史を解説。「行文の胴体が田川にあり、首は束稲山のどこかにある。鶴岡の田川の皆さんの今回の訪問は、歴史的に深い意義がある」と強調した。
訪問後も互いに文書のやりとりが続いている。菅原・矢の森自治会長は田川地区自治振興会に宛てた文面で、「800年前に奥州藤原氏が滅んでいく大きな節目となった出羽北陸道の戦いの跡が、遠く田川地区と矢ノ森集落を結びつけることになったことに思いを新たにしている。今回の縁をきっかけに末永い交流になれば幸いです」と記した。
田河津を訪れた田川地区自治振興会の三浦総一郎会長は「行文の墓が平泉の近くで大切に守られていることを知り、ぜひ訪れたかった。田川太郎に関する研究を互いに深め、両地区の交流を継続していきたい」と歴史ロマンが結ぶ交流の進展に期待を寄せている。
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鶴岡市立加茂水族館(奥泉和也館長)は、来館者と動物とのふれあいイベント「アザラシに餌やり体験」を新たに企画した。
お客さんが観覧席側からプールにいるアザラシに小アジを投げて食べさせる。ゴマフアザラシがどのようにして食べるか観察し、動物愛護につなげる。
時間は午前11時20分ごろと午後2時20分ごろからの2回でいずれも10~15分ほど。カリフォルニアアシカやゴマフアザラシの生態を紹介する「ひれあしの時間」終了後に行う。参加料金は一人一皿500円(おおよそ小アジ5匹)。大型プールがある「ひれあし広場」で受け付ける。イベントは29日から始まった。
飼育課の担当者は「ゴマフアザラシの『ももこ』をはじめ5頭の雌が登場する。“ゴマちゃん”とのふれあいを楽しんでもらえれば」と話している。問い合わせは加茂水族館=電0235(33)3036=へ。
2023年(令和5年) 12月30日(土)付紙面より
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戊辰戦争で松山藩士を率いて大きな戦果を挙げた一方、幅広く学問に精通し生涯で計300冊以上の文献を記した庄内松山藩最後の家老松森胤保(たねやす)(1825―92)に関する資料を集めた企画展が、酒田市松山文化伝承館で開かれている。
胤保は松山藩家老に登用され、江戸の市中見回り役として治安維持に貢献したほか、戊辰戦争では参謀として16戦16勝の戦果を挙げた。若い頃から博物学・究理学・考古学など幅広い分野を探究し、生涯にわたり多くの記録や著作を書き記した。明治時代には自ら書きためた記録をまとめ、当時の日本にとっては新しい動植物の写生が描かれた「両羽博物図譜」などの文献を後世に残した。
展示は胤保について▽武士▽収集▽著述▽発明―の4つの章に分けて紹介。胤保が着用したとされる甲冑(かっちゅう)や松山藩主・酒井家から拝領された刀のほか、戊辰戦争の記録を詳細に書いた「北征記事」、鳥の細かな特徴も捉えた写生図が描かれた「大泉諸鳥写真画譜」、日本最古のチョウ類の採集記録とされる「胡蝶録」など、計約100点余を展示している。中でも晩年に編さんした「両羽博物図譜」全59冊のうち、14冊の復刻印刷した本を実際に手に取って読むことができ、来館者たちは当時の貴重な文献の数々を興味深そうにページをめくっていた。
展示は来年2月4日(日)まで。今月29日―来月3日(水)は休館。展示期間中、胤保に関する全15問のクイズに挑戦すると参加賞、全問正解した人には県指定有形文化財・松山城大手門の「御城印」を贈呈。来月6日(土)から胤保が拝領したとされる刀「無銘 伝冬廣」の刀身展示も行う。