2015年(平成27年) 9月20日(日)付紙面より
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酒田市内の旧家に、傘に「ひゐな(ひいな)」の文字がある明治期製作の「傘福(かさふく)」が伝わってきたことが分かった。庄内地方の傘福については寺社に奉納したものが主流で、「ひな飾り用は現代人の創作」と解釈する人もいるが、古美術研究家で庄内傘福研究会長の工藤幸治さん(75)=同市若浜町=は「古くからひな飾り用の傘福があった証拠」とみている。
この旧家は、同市栄町の菅原喬三さん(76)方。傘福は高さ約80センチのミニチュアの山車型で、直径約30センチの傘の上部に「ひゐな」が一文字ずつ円内に書かれている。台座の幕の文字から、大田徳二郎という地元の職人が64歳の明治22(1889)年3月に作ったとみられている。
菅原さん方はかつて、本町に店を構えていた廻船問屋。菅原さんが子供の頃からこの傘福はひな祭りの時期、ひな人形と一緒にひな壇に飾られていたという。
工藤さんによると、庄内の傘福は、観音や地蔵信仰に基づき、子宝や子供の成長、病気治癒などを願って寺社に奉納した「祈願系」と、祭りの山車やひな祭りに飾った「祭礼系」の2系統に分かれる。うち祭礼系は本間家が1765(明和2)年に作らせた山車「亀笠鉾」をルーツに、飛島の網元が1834(天保5)年に作らせたものや小野太右衛門家が1875(明治8)年に作らせたものなどがひな飾り用という。
ただ、工藤さんによると、一部の民俗学者らは「庄内の傘福は寺社に奉納したものが主流で、ひな飾り用は現代人が創作した、歴史のないもの」と解釈する人もいるという。
工藤さんは「少なくとも江戸後期にはひな飾り用の傘福があったが、飾られていたことを示す確たる証拠はなかった。菅原家の『ひゐな』と菅原さんの話は、古くからひな飾り用の傘福が作られ、飾られてきたことを裏付けるもの」とみる。
菅原家はこのほど、私設「酒田あいおい工藤美術館」(相生町一丁目)を運営する工藤さんに、この傘福やひな人形、ひな道具、合わせて約30点を寄贈した。工藤さんは2005年にこの傘福を初めて見て「ひゐな」の文字を確認していたが、今回の寄贈を機に「傘福の歴史を知ってほしい」とあらためて公表した。