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2016年(平成28年) 6月26日(日)付紙面より

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「えらぶゆり」見頃に

 幕末の英雄・西郷隆盛(南洲)を祭る酒田市飯森山二丁目の南洲神社境内で、西郷が流刑された鹿児島・沖永良部島産の「えらぶゆり」が見頃を迎え、参拝者を楽しませている。西郷は同島にいる時、「敬天愛人」の思想を育んだといわれており、関係者は「敬天愛人のふるさとに思いをはせてほしい」としている。

 酒田の南洲神社は鹿児島の本社を分霊したもの。全国には両市のほか、沖永良部島の和泊町、宮崎県都城市の計4カ所に南洲神社があり、関係者が交流している。えらぶゆりはテッポウユリの一種で、沖永良部島では明治半ばから自生種の栽培が盛ん。酒田のものは、和泊西郷南洲顕彰会が3年前から毎年、酒田の南洲神社を創建した荘内南洲会(水野貞吉理事長)に対し、友好の証しとして球根を贈っているもの。今季は昨秋に植えた約100球が今月22日ごろから咲き始めた。

 純白に近く、細長い花びらが清楚(せいそ)な印象。西郷が好きだった言葉「敬天愛人」の石碑や、西郷と旧庄内藩家老・菅実秀が対面している「徳の交わり」像の周囲に咲き誇り、参拝者は「きれい」と見入っていた。

 西郷は1859(安政6)年から64(元治元)年にかけ、奄美大島に約3年間潜居し、徳之島に約70日間、沖永良部島に約1年半、藩命に背いたとして流刑となった。沖永良部では苦しい牢(ろう)屋生活の中、「敬天愛人」の思想を育んだといわれている。

 荘内南洲会職員は「南洲も島で、この花を見て過ごしたかもしれない。そんな情景を思いながら眺めてほしい」としている。もう10日ほどは楽しめるという。

 神社脇の荘内南洲会館には、西郷が流刑時、好漢の役人・土持政照宛てに役人の心得を書いた「與人役大躰」などの直筆、米飯を温めるのに使ったという弁当、勝海舟と江戸城無血開城を談判した時に使ったという鉄扇などが展示されている。開館は日・月曜日を除く午前9時―午後4時。入館無料。問い合わせは荘内南洲会=電0234(31)2364=へ。

西郷隆盛ゆかりの「えらぶゆり」が咲き誇る南洲神社境内=24日
西郷隆盛ゆかりの「えらぶゆり」が咲き誇る南洲神社境内=24日



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