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荘内日報ニュース


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2025年(令和7年) 5月17日(土)付紙面より

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NZへ語学演習や企業研修 鶴岡高専とワンガヌイの2者学術交流協定

 鶴岡市の鶴岡工業高等専門学校(太田道也校長)は15日、ニュージーランドのワンガヌイ地区評議会、同地区にキャンパスを構える高等学術機関ユニバーサルカレッジオブラーニング(UCOL)の2者と学術交流に関する協定を締結した。今回の締結により、鶴岡高専の学生が現地を訪れて語学演習や情報分野の共同研究、現地企業でのインターンシップなどに挑戦できることになった。

 鶴岡高専は適応力が高く国際社会で活躍できる技術者育成のため、年間を通して学生の海外派遣プログラムを実施するなど、学校全体のグローバル化に取り組んでいる。同校はこの一環として、英語圏で治安が良く自然豊かなニュージーランドとの交流促進を計画。昨年10月にワンガヌイ訪問団が来日した際、ニュージーランド大使館で開催された懇談会で鶴岡高専側から訪問団へ学術交流について相談を持ち掛け、同12月や今年3月には現地の企業や研究現場を訪れて連携の具体的な内容を詰めた。

 協定の主な内容は「学術交流により日本とニュージーランド間の相互理解を深め、相互の関心分野における学術活動の発展に寄与する」ことを目的に掲げた上で、▽教職員・学生の交流促進▽科学技術に対する共同研究▽会議、シンポジウム、講義の開催、印刷物やその他の学術的・教育的情報交換―の3点を基に、3者が共同プログラムに取り組むといったもの。協定の有効期間は5年で、いずれかの機関が変更や廃止を提案しない限り、5年ごと自動的に延長される。

 この日、鶴岡高専で締結式が行われ、ワンガヌイ地区評議会主席戦略役員のサラ・オヘイガンさんとUCOLの学術ポートフォリオ(教育評価)責任者のジャン・マクギボンさんなど5人が来校。オヘイガンさんとマクギボンさん、太田校長の3人が覚書に署名した。

 その後、太田校長が「皆さんと交流を深めることに期待している。次に訪れた時はゆっくり過ごし、鶴岡の雰囲気を味わってもらいたい」、オヘイガンさんが「英語学習と実社会でのインターンシップを組み合わせたプログラムを、ワンガヌイで展開する可能性に大きな期待を寄せている」、マクギボンさんが「鶴岡高専の学生の皆さんをワンガヌイにお迎えできることを心から楽しみにしている」とそれぞれあいさつした。

   ※    ※

 ワンガヌイ地区のワンガヌイ市は、ニュージーランド最大かつ最も歴史の古い都市の一つで、人口は約4万5000人。ユネスコのデザイン都市に認定されている。2014年に設立されたワンガヌイ地区評議会は、産業や海外との交流など各種方針について市へ提案する経済発展機関。また、UCOLは公立のポリテクニック(実学・職業教育を中心にした高等教育機関)で、ワンガヌイ地区の企業とつながりが深い。

学術交流協定を締結したワンガヌイ地区評議会のオヘイガンさん(中央)、UCOLのマクギボンさん(左)、鶴岡高専の太田校長
学術交流協定を締結したワンガヌイ地区評議会のオヘイガンさん(中央)、UCOLのマクギボンさん(左)、鶴岡高専の太田校長


2025年(令和7年) 5月17日(土)付紙面より

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白ツツジ咲き誇る 鶴岡 釈迦堂庭園 今週末から見頃

 鶴岡市泉町の旧風間家別邸「無量光苑釈迦堂」(国登録有形文化財)の庭園で白ツツジが間もなく見頃を迎える。例年通り5月初めの連休中に咲き始めたものの、その後は寒い日が続いた影響か15日は全体で5分咲きといったところ。今週末から来週頭にかけて見頃を迎える見込みだ。

 釈迦堂の庭園は100年ほど前に風間家7代目の幸右衛門が造園し、現在は公益財団法人の克念社が管理している。

 約2700平方メートルの土地にツツジや松、桜、ツバキ、ハギ、モミジなどの庭木を配置し、四季折々の景観を楽しめる市街地のスポット。ツツジの名所としても知られ、白と赤合わせて20株余りが植えられており、例年5月中旬に白が見頃を迎える。

 15日は日中に25度前後まで気温が上昇。庭園のツツジは株によって7~8分咲きだが、つぼみも多く見られた。克念社の70代女性職員は「白ツツジが咲きそろうと圧巻の景色。縁側に座って眺めたり、ティーハウスでゆっくりしながら観賞したりと、毎年多くの市民や観光客が穏やかな時間を楽しんでいる」と話していた。

 白ツツジは今月25日ごろまで、赤ツツジは今月末まで楽しめるという。丙申堂と釈迦堂の入館料は共通券500円。

釈迦堂の白ツツジが間もなく見頃を迎える=15日
釈迦堂の白ツツジが間もなく見頃を迎える=15日


2025年(令和7年) 5月17日(土)付紙面より

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庄内は3月から5月に大火が多い

 何の気なしに歴史年表を見ていて、庄内では3月から5月にかけ、大火の多さに気付いた。酒田市では2000戸以上焼失した大火が3度もある。海に近く「西風にあおられた」という気象条件が大火につながると言われるが、実は「東風で火勢が広がった」大火も多い。

 火災は冬に多いとのイメージが強い。しかし、春の全国火災予防運動が3月1日から7日までというのは、春先は火事が多い事での注意喚起。3~5月は火災が発生しやすいのは、気象的に春は乾燥が続き、1年の中でも風が強い時期であるからのようだ。春先に野火が多いのにも、そうした背景がある。年表から主に3月から5月にかけて発生した大火を拾ってみた。

     ◇       ◇

 酒田で最も多く家屋が焼失した火事は▽宝暦元(1751)年3月、荒瀬町(現新井田町など)から出火して住家2450戸、土蔵170棟を焼き、焼死者は80人。米・麦10万2667俵も焼いた▽明和9(1772)年4月、片町(現上本町など)から出火して住家2355戸、土蔵124棟▽享保11(1726)年5月、上片町(現同)から出火して住家2077戸を焼いたのが、一度に2000戸以上焼失した大火。

 酒田の大火の記録をたどれば、宝暦8(1758)年7月、伝馬町(現中町三丁目など)から出た火事で1479戸を焼くなど、500戸以上焼失の火災が11件ある。東風、いわゆる「ダシ風」によって火勢が拡大した火事が多い。このため、宝暦年間の火災を教訓に、町の中央を南北に貫く幅約20メートルの道路「広小路」を造って柳を植えて防火帯にした。現在の「柳小路」である。昭和51(1976)年10月の酒田大火の後に、南北に貫く「大通り」が設けられた。

 鶴岡市では明治13(1880)年3月、十日町から出火して住家470戸と8寺社▽同16(1883)年5月、下肴町から出火して300戸▽昭和26(1951)年4月、あつみ温泉の大火で旅館や住宅249戸などを焼失している。明治8(1875)年4月、旧朝日村大網の大日坊で即身仏2体が焼ける火災もあった。

     ◇       ◇

 酒田市では明治以降、焼失被害が2000戸を超える火災はない。「自らは火を出さない」戒めを徹底したため。離島の飛島も火事が多く、男が漁に出た後を守るため明治43(1910)年、全国初の女性消防隊が誕生した。それでも火事があれば、火元が家を再建する時、母屋や物置の規模を小さくするペナルティーを課した。

 酒田では明治6(1873)年以前の217年間に発生した100戸以上の火事は36回、実に6年に1度の割で起きている。寛政10(1798)年には一年の間に622戸、593戸、671戸など4件の大火で2075戸を焼いた火災も春に集中している。年表などから主な大火を拾ってみた。「火の用心」の時期である。

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2025年(令和7年) 5月17日(土)付紙面より

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酒田・光丘文庫 開館100年記念展 歴史を知る貴重な書籍・資料紹介 入場無料 8月24日まで

 酒田市の光丘文庫が今年で開館100年を迎え、これまでの歴史や資料、蔵書などを紹介する記念展が、市文化資料館光丘文庫(館長・大井庄栄市文化政策課長)で開かれている。

 光丘文庫は1921(大正10)年、酒田の豪商・本間家3代当主・光丘(みつおか)の功績をたたえた本間光丘翁頌徳(しょうとく)会が日吉町一丁目に光丘神社を建立したことを受け、8代当主・光弥がその返礼として文庫建設・維持のための資金10万円と蔵書約2万冊を寄贈したことをきっかけに25(大正14)年、「財団法人光丘(ひかりがおか)文庫」として開館したのが始まり。82年に市総合文化センター内に市立中央図書館が設置されるまで、市立図書館として幅広く利用された。現在は市に事業が引き継がれ、当時の貴重な書籍や資料を市文化資料館光丘文庫で保管している。

 光丘翁が生前、貧しい家の者でも修学の場として利用できる、和漢の書を取りそろえた寺院を建立しようと幕府に願い出ていたが実現できず、その奨学の遺志を受け継いだという光弥翁の話を年表・目録で紹介しているほか、酒田の図書館の起こりとされる1901(明治34)年発足の「酒田書籍購読会」の歴史について写真とともに解説。これまでに光丘文庫が寄贈を受けた多種多様な所蔵資料を展示している。入場無料。展示は8月24日(日)まで。期間中は展示品の入れ替えも行う予定。

光丘文庫100年の歴史などを紹介する記念展
光丘文庫100年の歴史などを紹介する記念展


2025年(令和7年) 5月17日(土)付紙面より

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“メダカ米”田植え体験 余目一小 安全安心なコメづくり推進

 庄内町の家根合地区で15日、「メダカの里米田植え体験」が行われ、余目第一小学校(本堂尚樹校長、児童194人)の4年生がはえぬきの苗を手植えした。

 同地区では1999年にほ場整備が始まった際、当時の同小5年生が用水路にすむメダカ(絶滅危惧種)の救出活動を行い、地元住民や町、県を巻き込んだ保全活動のきっかけとなった。その後、地区内に保全池が作られ、2003年には地元農家らがNPO法人「家根合生態系保全活動センター」(大井庄一理事長)を設立し、池を管理。07年以降は同NPOが池で増えたメダカを稲の育成期間中に田んぼに戻し「メダカがすめる田んぼで安全安心なコメづくり」の取り組みを開始。「家根合のメダカ米」としてPRしている。

 田植え体験は子どもたちから自然に親しみながら、コメ作りなどについて学んでもらおうと、同小の児童を招き、同NPOなどが中心となって行っている。

 この日は4年生27人と県庄内総合支庁、最上川土地改良区、JA庄内たがわ、町から関係者計約30人が参加。はじめに児童らは立谷沢川から取水した水が北楯大堰を通って同地区まで送られていることや米作りのスケジュールなどの説明を受けた後、同NPOメンバーの農業、佐藤祐さん(60)の水田約20アールのうち、約2アールで田植え体験。歓声を上げながら慣れない足取りで田んぼに入り、泥だらけになりながら約30分にわたって丁寧に手植えをした。参加した高橋結彩さん(9)は「初めて田んぼに入ったけど、ぬるぬるして気持ちよかった。お米ができたらおにぎりにして食べたい」、大井理事長は「自然や田植えを通して米作りやメダカなどに関心を持ってもらえれば。今後も続けていきたい」とそれぞれ話していた。

 来月中旬には保全池からメダカを田に戻す作業を行う予定という。

田植えを体験する余目一小の4年生
田植えを体験する余目一小の4年生



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