2017年(平成29年) 12月29日(金)付紙面より
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酒田市が本年度に実施した旧割烹(かっぽう)「小幡」(日吉町二丁目)の既存建物基礎調査の報告会が27日、同市の希望ホールで開かれた。委託を受けた高谷時彦東北公益文科大大学院特任教授が報告し、建物の一部が通説と異なり、酒田地震(1894年)以前の明治初期に建てられ、板垣退助ら多くの著名人が滞在したものがそのまま残っている可能性が高いことが分かった。高谷教授は「文化的にも、市民の記憶という観点からも貴重」として、建築当初の外観を復元しながら補強し、「酒田フレンチ」など地元の食の魅力を発信する施設として改修・活用していくことを提案した。
小幡は、酒田港本港を見下ろす日和山の頂上に1876(明治9)年に開業。割烹料理店やダンスホールなどとして活用されたが、1998年に廃業。2009年に米国アカデミー賞外国語映画賞を受賞した「おくりびと」では、主人公が勤める葬儀社「NKエージェント」の社屋として使われ、同年4月―14年3月には内部を公開。老朽化が進んでいるが、保存・活用を求める市民の声が高まり、建物を取得した市が16年度に市民の意見を聞くワークショップを開くなど、活用を検討している。
市は本年度、旧割烹小幡整備事業として土地の測量に約240万円と、既存建物基礎調査に約900万円を予算化。活用に向けた基礎資料とするため、高谷教授に建物の仕様調査や図面作成などを委託していた。
調査報告によると、小幡は▽洋館=コンクリート・木造混構造の地上2階・地下1階建て、延べ床面積220平方メートル、1923年建築▽和館=木造在来工法の地上2階(一部中2階)建て、延べ床面積697平方メートル、推定で明治初期の建築▽土蔵=蔵造り地上2階建て、延べ床面積81平方メートル、推定で明治初期の建築―の3棟で構成されている。
通説では、小幡の和館は酒田地震で消失し、地震後に再建されたとみられていた。しかし今回の調査で、地震前後の地図や写真などから、「地震前の建物がそのまま残っている可能性が極めて高い」とされた。
和館には明治期、逓信大臣を務めた榎本武揚や逓信次官の前島密、政治家の板垣退助、西郷隆盛の弟で海軍大臣を務めた西郷従道、小説家の志賀直哉ら多くの著名人が滞在している。その建物がそのまま残っているのは、酒田の歴史、文化を伝える上で貴重という。
洋館は、コンクリート造りの先駆けで、かつて欧州で流行した「セセッション風」のデザインで、意匠的にも貴重。外観は建築当初、しっくいの白壁に、窓は水回りなどの「マジョリカタイル」に合わせた緑色だったと推測されるという。
改修する場合、和館は中心の母屋を残し、老朽化が著しい周辺の下屋を解体。母屋を囲むように鉄骨の耐震フレームで補強する。洋館については、内部に鉄筋コンクリート製の箱を入れる形で補強することで、現行の耐震基準の水準で安全なものにできるという。
活用については、洋館が建築当初、東京・精養軒で修業したシェフがフランス料理を提供していたことや、酒田では近年、地元食材を使った「酒田フレンチ」が名物として定着しつつあることを踏まえ、洋館は酒田フレンチを提供する仮称「酒田フレンチ日和山」、和館は厨房(ちゅうぼう)施設と港を見下ろす眺望の良い食事処による同「みなとのみえる食育交流館」として法事や集会などに活用していくことを提案した。
田中愛久商工観光部長は「この報告を土台に、来年度に実施設計に入れるよう予算化を検討していく」と実現に意欲を示した。
旧割烹小幡を保存活用する会の元会長、山岸勝美さん(86)=日吉町一丁目=は「とても素晴らしい提案。ぜひ実現してもらいたい」と話した。