2022年(令和4年) 11月2日(水)付紙面より
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ロシア船の蝦夷地(現在の北海道)への侵入を受けて幕府は1807年、庄内藩士に出兵を命じた。これをきっかけとし本間家第4代・光道翁は翌年、蝦夷地との交易に行うため北前船「日吉丸」を新造したというエピソードを元に、飽海地域史研究会(酒田市、小野寺雅昭会長)、鶴岡市立加茂水族館レストラン「魚匠ダイニング沖海月」の須田剛史料理長が同船の進水式で振る舞われた御膳を再現し30日、酒田市の山王くらぶで試食会が行われた。
「北前料理『酒田船頭御膳』」と命名した今回の御膳をプロデュースした研究会は、酒田・飽海地域の歴史を探究し、成果をこれからの観光や地域づくりなどに役立てようと、元教諭で県地域史研究協議会理事の小野寺会長、観光まちづくり会社「酒田ドラマチックカンパニー」(同市みずほ一丁目)の市村浩一さんらが中心となって発足。6年ほど前から北前船と料理の関係について研究し続けている須田料理長と共に、北前船の船頭にまつわる文献をひも解きながら料理の内容を吟味してきた。
小野寺会長によると、庄内藩士の蝦夷地出兵を受けて大量の生活物資、多数の郷夫を積載できる船が必要となり、光道翁は蝦夷地との交易を活発にしようと考え「日吉丸」を新造。08年4月10日前後に新造祝いと進水式を開きこの際、船大工、町役人、船頭らを御膳でもてなしたという。
提供されたのは、文献を基にした▽マスの紅花押しずし▽マダイのみそ焼き▽秋サケがメインの椀物▽マダイの刺身―とともに、食事物として「そばがゆ」など。「北前船と修験道の文化が相まった庄内の歴史からヒントを得た」(須田料理長)という。須田料理長の指導を受けながら酒田南高食育調理科2、3年生4人が盛り付けを担当。研究会員15人が早速、舌鼓を打った。
仏・パリで今年6月に開催された日本の美術工芸家作品を集めた展覧会に「酒田船箪笥t(だんす)」を出品し特別賞を受けた研究会員の加藤渉さん(48)=酒田市=は「おいしい上、ストーリー性があって歴史的にも楽しい」と。小野寺会長は「北前船船頭を巡るストーリーが見えてきた。この料理が広くアピールするきっかけになれば」と話し今後、広く周知を図っていく方針。
須田料理長によると、御膳は「日本遺産の日」の来年2月13日(月)、沖海月で提供する予定という。