2022年(令和4年) 5月25日(水)付紙面より
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平安から鎌倉時代初期にかけ庄内南部一帯を治めた武将「田川太郎」にスポットを当てた地域づくりに取り組む、鶴岡市の田川地区自治振興会主催の「田川太郎の里歴史ウオーク」が22日、同地区で行われた。参加者25人が源義経の「義経記」にも登場する田川太郎一族の墓など関連の遺跡や史跡を巡り、田川地区の歴史、文化に触れた。
田川氏一族は平安時代後期、郡司に任命され、田川地区を拠点に栄えた豪族。奥州藤原氏と源頼朝の鎌倉軍が争った1189(文治5)年の合戦で、田川太郎行文(ゆきぶみ)は藤原氏方として戦ったが、新潟を経て鼠ケ関から侵入してきた比企能員(よしかず)らの軍勢に敗れて討ち死にし、一族は滅亡した。
「歴史ウオーク」では、旧田川小の場所にあった田川氏一族の館跡、「七日台」と呼ばれる丘陵地にある一族の10基の墳墓群、館跡近くにある行文の墓とされる「五輪塔」(県指定文化財)、行文が鎌倉軍と戦った旗引川原の古戦場跡にある供養塔「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」など田川氏関連のほか、七日台の中世の山城跡、平安時代後期に洞窟に安置された観世音菩薩の「岩谷千体仏」などを巡った。
地元の「ぶら田川隊」メンバーがガイド役となり、地区内にある「行〆(ぎょうじめ)」では、義経や弁慶が田川氏の依頼で祈祷し、締めくくりとして行に使った道具を処分した場所が地名の由来となったことなどを紹介。五輪塔では約800年にわたって墓守を続けている齋藤家当主の齋藤秀市さん(72)が説明に当たった。七日台の山道には光合成をしない珍しい植物「ギンリョウソウ(銀竜草)」が純白の姿で一行を出迎えた。
参加した同市稲生二丁目の藤井章さん(79)は「田川地区は渓流釣りでお世話になっていて、この機会に歴史を知りたいと思って参加した。巡るコースをしっかりと整備した地元の人たちには頭が下がる。源義経との関わり、ギンリョウソウが印象深かった」と話した。
「歴史ウオーク」は田川地区の資源と魅力を地区外に発信しようと初めて企画。当初定員20人に4倍ほどの申し込みがある人気ぶりで、定員を増やし抽選で選ばれた市民らが「田川そば」の昼食を挟んで約2キロのコースを巡った。地元では継続開催を予定している。