2007年(平成19年) 9月5日(水)付紙面より
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元中学教師の板垣昭一さん(77)=鶴岡市宝町=が、北海道開拓の基礎を築いた同市出身の松本十郎(1839―1916年)を主人公にした「続小説松本十郎『北のはざま』―札幌大判官時代の苦闘」を書き上げた。根室判官時代の活躍を描いた「<北辰軸(ほくしんじく)」の続編で、正義を貫き、上司とアイヌ民族のはざまで苦悩し、自ら職を辞した「アツシ判官」の姿を史料からあぶり出した。
板垣さんは1990年、余目中を最後に教職を退いた後、中学生を対象にした国語教室を営む一方で、執筆活動にも取り組み、数多くの教育書を手がけた。「町内会長物語」など3冊の小説も刊行、一昨年12月には松本十郎の根室判官時代を題材にした「北辰軸」を出版した。
「北辰軸」刊行後の昨年1月から続編の執筆を開始。史料をひもとき、札幌も訪れ十郎の足跡を辿り、1年3カ月がかりで札幌大判官時代を描き切った。
松本十郎は1869(明治2)年、31歳で北海道に渡り、北海道開拓使の根室判官に就任。漁場の開発や灯台の建設など開拓事業に力を尽くした。アイヌ民族への差別に反対し、伝統的な衣服のアツシを身に付けていたことから「アツシ判官」と慕われた。3年余りの根室での勤務が評価され、北海道開拓の全権を握る札幌本庁の大判官に抜擢された。
「北のはざま」では、大判官に就任した十郎が前任者の時代に残った巨額の債務削減に大なたを振るい、庁舎建設事業の見直しなど改革に取り組み、稲作の奨励などの北海道振興にも奔走する。後半部分は、樺太と千島の交換条約により生じた樺太在住のアイヌ民族の移住問題が中心。開拓使の「長官」だった黒田清隆とアイヌ民族に板挟みになり、苦しむ十郎の姿が描かれている。大判官辞任を決断した十郎の心情にも史料を基に切り込んでいる。
板垣さんは、「たくさんの史料を処理できるか不安もあったが一気に書き上げることができた。十郎は貧困家庭には身銭を切って与えるなど人間味のある人物だった。大判官をやめたのは黒田への反発が理由と言われているが、それだけではなくアイヌ民族を守れなかったことが心に重くのしかかったからだと思う」と話す。
B6判、310ページ、発行所・良書センター鶴岡書店。1200円(税込み)。鶴岡市内の主要書店で扱っている。
「アツシ判官」の札幌時代を描いた歴史小説「北のはざま」を執筆した板垣さん