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荘内日報ニュース


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2010年(平成22年) 3月24日(水)付紙面より

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庄内浜のあば 悲哀と快活と歴史と ―47―

明日への希望追い求め

生粋の庄内弁で

 70歳代前半はまだ若く、80歳を過ぎた人がたくさんいた。皆さんに共通するのは記憶力がよくて計算が早く、自分を飾らずに話すことだった。そして、ちゃめっ気もあった。

 浜のあばたちの話し言葉は、生粋の庄内弁である。聞いて分からない言葉は一つもないのに、庄内の浜辺育ちの身でありながら、あばと“対等”に話せる庄内弁が口から出てこない。長く郷里を離れていたということはこういうことなのか。「どこの生まれだや」、と尋ねられるたびに、半ば肩身の狭い気持ちを覚えながらも、話している時間は楽しく、気持ちが落ち着いた。

子供のために

 「あば」とは、庄内では「母親」を指すが、「浜のあば」となるとリヤカーを引いて魚を売り歩く行商の女性を意味した。戦後のモノ不足の時代、海の産物を売り歩けばもうかり、羽越本線沿いには800人を超すあばがいた。しかし、必ずしも漁家の女性ばかりがその仕事に就いたとは限らなかった。

 働く場も現金収入の道もない。子供におやつをせがまれ、磯で採ったアオサなどを持って「ほかの食べ物と交換できれば」と、体が隠れるほど大きな荷を担いで列車に乗った若いお母さんもいた。「物もらいをするようで、死んでもしでくながった」という女性も、子供の空腹を見かねて行商した。闇取り引き監視の目を逃れるため、親類に用足しに行くような姿を装って、冬だというのに下駄ばきで列車に乗ったという話も聞いた。

苦労を笑い話に

 鶴岡市末広町の田川地方行商協同組合の早朝。あばたちの「この魚生ぎ、いいなだがー。もっとまけろでば、このヤロー」などと、少々荒っぽい言葉が飛び交う。気心知れた者同士ならではの会話だが、傍らで聞いていて、なぜか小気味良いやり取りが楽しい。

 あばの言葉の元気の源は、浜の風に負けないよういつも腹に力を入れて大きな声で話しているせいか。抜群の記憶力と計算の素早さは、浜市場の競りで日々“真剣勝負”をしているせいだろうか。

 昔の苦労を、笑い話にして話す人が大勢いた。どれほどの苦労を積み重ねたうえで、今の笑いにたどり着いたのだろうか。よく聞いた言葉は、「働いた分自分に戻って来っさげ」。ひたすら働くことで明日への希望が見えてくるということだった。「身を粉にして働く」は、半ば死語になりつつあるが、あばたちは朝暗いうちから夜遅くまで、働きづくめだった。

 家族、特に子供のために行商を始めたが、身内だけでなく多くの人の暮らしも支えていることに、働きがいを見つける。そして、時にはもうけなしの商売もする。「得意先の笑顔を見るのも、もうけのうち」、なのだ。

商売を越えた文化

 まんじゅう笠をかぶってリヤカーを引くスタイルは、何十年も同じだ。変わったことと言えば「棒ばかり」が「台ばかり」になったことぐらいか。世の中の暮らしが安定すると引退する人が増え、城下町鶴岡の風情に似合ったあばも今は十数人。行商協同組合も2、3年先には解散する。

 「何かが無くなる」と聞くと、にわかに愛着じみたものを覚えてしまう。「庄内浜のあば」の連載で、あばたちの姿の、ほんの少しだけを書きとめることができた気がする。それであっても、慣れ親しんだものが消えていこうとしていることに、惜別の念を感じないわけにはいかない。

 浜のあばは、行商という商売を越えた「文化」だった。

(おわり)

リヤカーを引いて檀家を訪ね歩く。積んでいる荷は多くはないが、後ろ姿から大きな存在感が伝わってくる(JR余目駅前で)
リヤカーを引いて檀家を訪ね歩く。積んでいる荷は多くはないが、後ろ姿から大きな存在感が伝わってくる(JR余目駅前で)


2010年(平成22年) 3月24日(水)付紙面より

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かわいいウサギずらり 佐藤さん(酒田)の紙粘土人形飾る

 酒田市松原南に住む佐藤久美子さん(53)が製作した紙粘土人形を集めた展示会が、同市の国指定史跡「旧鐙屋」で開かれている。

 佐藤さんは23年前、娘が通っていた同市の若草幼稚園のバザーに出品するため、紙粘土人形の製作を独学で開始。訪れた人たちから好評を得、その後も作品を作り続けている。20年前に同市のNTTギャラリーで初の個展を開催して以来、これまで毎年2―3回作品展を開き、新作を中心に発表してきた。

 初の個展を開催してから20周年の節目を迎えたことを受け今年2月、同市のギャラリー喫茶ヴィヨンで記念の展示会を開催。これが旧鐙屋を管理する同市教育委員会職員の目に止まり、同施設で現在開かれている「土のひな人形」展と同時開催することになった。

 今回は、「白い肌が紙粘土人形にぴったりと合う」(佐藤さん)とモチーフにし続けているウサギやネコの人形約60点を展示。時節柄、ひな人形が多く並び、手作りした鮮やかな着物をまとった、愛らしい表情のおひなさま、りりしい顔付きのだいりさまが来館者の目を楽しませている。また、人形1つの大きさが数ミリでマッチ箱に入った段飾りもあり、訪れた人は「細かいなあ」と感心していた。

 佐藤さんは「これからもライフワークとして作り続け、年1回くらいは作品展を開催していきたい」と話していた。展示は来月4日まで。

佐藤さんが手作りした紙粘土人形が並ぶ
佐藤さんが手作りした紙粘土人形が並ぶ


2010年(平成22年) 3月24日(水)付紙面より

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豊作願う奉納舞 春日神社「祈年祭」

 鶴岡市黒川の春日神社で23日、五穀豊穣(ほうじょう)を願う祈年祭が行われ、能楽ファンが黒川能(国指定重要無形民俗文化財)の奉納舞を楽しんだ。

 祈年祭は、11月23日に行われる新嘗祭(にいなめさい)とともに同神社を代表する農耕神事。祝詞奉上に続き、笛や琴の音色に合わせて神官が鍬(くわ)や鋤(すき)で土を掘り返し、巫女(みこ)姿の子供たちが稲を植えるしぐさで農作業の様子を舞い、今年の豊作を祈願した。

 今年の奉納舞は上座が能「老松(おいまつ)」と狂言「膏薬煉(こうやくねり)」、下座が能「範頼(のりより)」の計3番。このうち「老松」は、北野天神を信仰する「梅津」が夢でお告げを受けて筑紫の安楽寺を参拝し、老松の精として現れた老人から天神のお告げを受ける―という物語。舞台では演者たちが黒川能独特の謡と舞いを繰り広げ、能楽ファンを魅了していた。

黒川能の奉納舞で今年の豊作を祈願した鶴岡市黒川・春日神社祈年祭
黒川能の奉納舞で今年の豊作を祈願した鶴岡市黒川・春日神社祈年祭



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