2010年(平成22年) 5月21日(金)付紙面より
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庄内三大祭りのトップを切って酒田まつりの本祭りが20日、酒田市の中心市街地で繰り広げられた。前日から断続的に雨が降る天気の中、52団体約3000人が趣向を凝らした山車(だし)やみこしとともに威勢よく練り歩き、港町・酒田に受け継がれている心意気を示した。また、中合清水屋店前で行われた前夜祭では、高さ20メートルの「立て山鉾(やまぼこ)」が披露され、内部の照明によって雄姿が浮かび上がると、沿道を埋めた観客から拍手と歓声が上がった。
酒田まつり(旧山王祭り)は、上(浜田一丁目)と下(日吉町一丁目)の山王社(後に日枝神社)の例大祭。江戸時代初期の慶長14(1609)年に始まり、これまで一度も欠かすことなく続けてきたとされる。1976年10月に発生した酒田大火からの復興を祝い市民を挙げたまつりにしようと、復興宣言が行われた79年に酒田まつりに改称。今年で創始401年を迎えた。
20日は正午から、中合清水屋店前で恒例の「式台の儀」。町奉行に見立てた阿部寿一市長と、羽織はかまに裃(かみしも)で正装し刀を帯びた上下の神宿組合代表が、祝言を交わした。
松山藩荻野流砲術隊の演武に続いて午後1時、酒田のシンボル・大獅子2対を中心にした山車行列が市役所駐車場を出発。酒田青年会議所が新たに制作したミニ立て山鉾、地元の幼稚園や小中学校、企業などの山車とみこしが繰り出し、本町通りから寺町通り(一部は、たくみ通り)を回るコースを、2時間余りかけて練り歩いた。
一方、雨の中で行われた19日の前夜祭では、酒田ばやし保存会や酒田きやり保存会の演奏と木遣(きや)り音頭、松山能「羽衣」、福山神楽が演じられた。
夕闇が迫った午後6時45分、カウントダウンとともに立て山鉾内部の照明を点灯。その雄姿が色鮮やかに浮かび上がると、見上げた観客から「ほーっ」「すごい」の声が上がった。
2010年(平成22年) 5月21日(金)付紙面より
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米国ニュージャージー州ニューブランズウィック(NB)市との姉妹都市盟約50周年を記念した鶴岡市訪問団(団長・榎本政規市長)が、10日から7日間の日程でNB市を訪れた。現地で、榎本市長とジェームズ・ケイヒルNB市長が姉妹都市盟約を継続する確認書に調印するなど、半世紀を経た友好と交流の足跡を礎に両都市のきずなをさらに強めていくことを確認した。
鶴岡とNBの関係は江戸時代末期までさかのぼる。旧庄内藩士の高木三郎が1867(慶応3)年、庄内人として初めて米国に渡り、NB市にあるラトガース大に留学した。その後、高木は外交官としてサンフランシスコ副領事、ニューヨーク領事を務めるなど明治初期の日米外交の舞台で活躍。これを縁に日米修交100周年の1960(昭和35)年、両市が姉妹都市の盟約を締結した。締結後は、親善訪問団の相互交流、外国語指導助手の招へい、中学生の相互派遣など多方面で交流を行っている。
盟約50周年を記念した訪問団は榎本市長、川村正志市議会議長、鶴岡・NB友好協会の佐藤友行会長ら計19人。一行は、高木の子供の墓参、高木が通ったラトガース大や日本語のカリキュラムも設けて今年1月に開校した中高一貫の新NB高校の訪問、NB市主催の姉妹都市50周年パーティー、鶴岡を訪れたことのある市民の家庭に招かれてのホームディナーなどの日程をこなした。また、2001年9月の米国中枢同時テロの際、鶴岡市が市民に呼び掛けて行った義援金の募金活動に感謝を表し、NB市が建立した石碑の除幕も訪問団一行が参加して行われた。
両市長が調印した確認書は、姉妹都市盟約締結からちょうど半世紀を迎えたことを機に、あらためて友好関係の継続を誓ったもの。確認書では「両市民が伝統と友情に満ちあふれた歴史ある関係に誇りを持ち、今後とも友好関係をはぐくむため互いに協力し合う」との宣言が盛り込まれた。
訪問を終えた榎本市長は「NBと鶴岡が盟約を結んだ経緯をあらためて双方の若い世代に伝え、友好関係をさらに深めることを確認した。民間レベルの交流に加え、両市の青少年の相互交流を進めていきたい」と話した。
姉妹都市盟約50周年記念で、今年11月にはNB市の子供たちが来鶴し、ホームステイや学校訪問などで市民と交流する。一方、鶴岡市の記念事業実行委員会(会長・山本益生副市長)は来年の春休みに1週間程度、市内の中学生をNB市に派遣する事業も計画している。