2011年(平成23年) 3月22日(火)付紙面より
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東日本大震災や東京電力福島第1原子力発電所の放射能漏れ事故を受け、鶴岡市は公共施設を避難所として開設し、多くの避難者を受け入れている。各避難所では、ほとんどの避難者が家族と離れ離れで生活しており、「原発問題が解決しないと帰れない。将来生活していけるか不安だが、生きていれば何とかなる」と“無期限”の避難生活に不安を抱えている。
同市によると、寝泊まりと自炊ができる施設として、櫛引や羽黒地域などの公共施設6カ所を避難所として開設。21日現在、約130人が避難しているという。
このうち、羽黒農村改善センターには19日、福島県南相馬市から10家族51人が避難していた。避難者たちはグループごとに分かれ30畳2部屋と60畳1部屋で寝泊まりしており、自家用車で食料や生活用品を買い出しに出掛けたり、調理室で調理するなど力を合わせ自立した生活を送っている。避難者の男性は「地域の皆さんの温かい支援のおかげで生活できている。すごくありがたい」と話していた。
昼ごろになると調理室に集まり、家族ごとに仲良く昼食を取っていた。南相馬市に両親を残して避難してきたという男性(31)は「避難指示を受けてから、当事者である東京電力や国からは避難する際に全く支援を受けていない」と憤りを強く訴え、「まだ、被災地には避難したくても移動手段がなくて大勢の人が残っており、一日でも早く救助してくれることを願っている」と話していた。
同センターは救援物資の受け付け場所となっており、防災無線などで地域住民に呼び掛けたところ、19日午前中は、毛布や米、おむつ、レトルト食品、カップラーメンなどの物資を抱えた住民たちが相次いで訪れていた。友人とともに衣類などを寄付した女性(62)は「テレビ報道を見て、被災地の悲惨な現状を知り、苦しんでいる被災者のために何か役に立ちたかった」と話していた。
寄せられた救援物資は避難所に配布されるほか、被災地に送られる。
市羽黒庁舎の真田昭良支所長は「農村センターの受け入れ人数はほぼ限界に近い。避難者の中には持病のある方や被災したストレスで体調を崩す方もいるが、市の保健師に対応してもらっている。避難生活は長期化するとみられ、生活資金の問題など受け入れ側の対応を考えていかなければ」と話していた。