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2011年(平成23年) 11月29日(火)付紙面より

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酒田中央高ありがとう 71年の伝統引き継ぐ 閉校記念式典生徒が誓い

 来年4月に酒田市内の酒田商業、酒田工業、酒田北の県立3高校と統合して酒田光陵高校になる市立酒田中央高校(菅間裕晃校長、生徒395人)の閉校記念式が26日、同校体育館で開かれ、71年の歴史にピリオドを打つとともに、これまで育んできた伝統を新高校に引き継ぐことを誓った。終了後、同校出身で音楽集団「上々颱風(しゃんしゃんたいふーん)」のボーカル・白崎映美さんが講演した。

 酒田中央高は1940(昭和15)年、琢成尋常高等小学校に併置する形で酒田実科高等女学校として開校。その後、酒田琢成高等女学校、酒田市立高校と名称を変更し66(同41)年、現在地に新校舎が完成したのに合わせて現校名に改称した。90(平成2)年の創立50周年を機に、それまでのセーラー服から森英恵デザインの制服に変更。注目を集めた。

 部活動が盛んで、器械体操とバレーボールでは五輪選手を輩出。他にも弓道や山岳、生物、書道などスポーツ、文化・芸術両面で活躍している。卒業生は1万5186人。地元はじめ国内外で活躍している。

 閉校式には在校生と保護者、卒業生、旧教職員ら計約650人が出席。阿部寿一市長が「市立高校として運営できたのも、物心両面から支援いただいた関係者のおかげ。来春、新たなスタートを切るが目的は、次世代を担う青少年の教育環境の充実という一点。卒業生、在校生の前途が輝かしいものであることを祈る」と式辞を述べた。

 高橋利秀市教育委員長らのあいさつなどに続き、前期生徒会長の中原未来さん(3年)が「この学校での3年間で、『どう生きるか』と考えることの大切さを教えられた。20年、30年後の私が、それを誇りに思っていることを子供や孫に自慢できるだろう。閉校で輝かしい歴史と伝統が消えることはない。必ずや新高校に引き継がれると信じる。酒田中央高校、ありがとう」と生徒代表の言葉。

 菅間校長が「市立高校は県庁所在地以外の都市には、ほとんどない。東北では能代商業(秋田県)と本校だけ。市、市教育委員会の理解と支えてくれた市民、育ててくれた教職員、そして生徒、先輩方の力の結晶として今日がある。残された4カ月を、その思いを持って精いっぱい過ごすことがお礼と考え、新高校と酒田中央高校のために一層、頑張っていく」と謝辞を述べた。

 白崎さんは「夢と希望と勇気!そしてわが母校、中央高校」と題し講演。「ろくてもねぐで、やちゃくねがった」高校時代のエピソードや、上々颱風に入ってメンバーから「映美ちゃんにはルーツがある。とてもうらやましい」と言われ、堂々と酒田弁を使うようになったことなどを話した。

 その上で、「皆さんの夢は何ですか。私は、聞いてくれた人が少しでも『うれしい』『ワクワクする』ような気持ちになって、大それたことを言えば、戦争もやめてしまうような歌を歌うことが夢」と紹介。生徒らは、方言の楽しさを味わいながら時には大声で笑い、特にはしんみりと聞き入っていた。

森英恵デザインの制服を着た最後の酒田中央高生(前列)と酒田光陵高校の制服姿の在校生が一緒に校歌を合唱
森英恵デザインの制服を着た最後の酒田中央高生(前列)と酒田光陵高校の制服姿の在校生が一緒に校歌を合唱


2011年(平成23年) 11月29日(火)付紙面より

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大正初期の傘福修復 酒田の研究会 再現した新作と併せ奉納

 庄内傘福研究会(工藤幸治会長)が、酒田市日吉町一丁目の光國寺(光國寺寛了住職)に飾られている大正初期の制作とみられる「傘福」を修復するとともに、これを見本に再現した傘福も作って26日、一緒に奉納した。つるされている細工の中に他では見られないサンタクロースがあり、近くにキリスト教会があることから、工藤会長は「信者が作って飾ったのでは」と話している。

 庄内三十三観音霊場第20番札所の光國寺は、約500年前の永正年間に開創。大正4(1915)年に本堂を再建しており、その時に直径約60センチの傘福一対が奉納されたらしい。時代を経て傷みが進み1本は廃棄された。もう1本も、当初は140個ほどあった布細工が欠落し巾着や船、桃など44個が残るだけになった。

 昨年、三十三観音霊場の御開帳で光國寺を訪れた同研究会のメンバーが傘福を発見。工藤会長が開設している「酒田あいおい工藤美術館」(同市相生町一丁目)で今年6月から、同研究会員6人と市民の協力者数人が、ボランティアで修復と再現に取り掛かった。

 つるしひもを交換して布細工が落ちないようにしたほか、ほつれた部分にはできる限り古い布を使用し、色や形、縫い方にも配慮して当時の姿に修復した。

 一方、これを見本にして新たな傘福を制作。その際も明治、大正時代の古布を使い、「完成当時はこんな感じだったのでは」(工藤会長)という、1本の糸に7個の細工を下げた12本つりの傘福を完成させた。作業に当たった女性メンバーは「針仕事は慣れているが、セルロイド製のサンタクロースを再現するのが大変だった」と話す。

 この日、工藤会長らが光國寺を訪問。2本を奉納し本堂に飾り付けた。工藤会長は「江戸ちりめんや金襴緞子(きんらんどんす)といった良質の布地を使い、優れた技術で仕上げられており、制作技術を学ぶことができた。この地区は花街だったことから、豊かな暮らしができるよう細工には巾着が多い。サンタクロースも珍しい」と特徴を解説した。その上で「観光ルートに入れていただき、ぜひ多くの方々に参拝、観賞してもらいたい」と話している。

工藤会長(左)と光國寺住職が修復した傘福(左)と再現した傘福を紹介
工藤会長(左)と光國寺住職が修復した傘福(左)と再現した傘福を紹介



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