2018年(平成30年) 11月21日(水)付紙面より
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北海道石狩市浜益区に、幕末に幕府の命を受け北方警備のために庄内藩が築いた国指定史跡「荘内藩ハママシケ陣屋跡」がある。この庄内藩ゆかりの史跡の保存と活用に向け、石狩市教育委員会や札幌山形県人会などが動きだした。戊辰戦争のため藩士たちが一斉に庄内へ引き揚げたこともあり、地元には陣屋に関する詳しい史料がほとんどないため、庄内地域の関係者を通じて史料を集め史跡の復元につなげ、歴史を切り口にした地域振興を図ろうというもの。今月、北海道から関係者が来鶴し、協力を依頼した。
ロシアの南下による北方の緊張が高まった1859(安政6)年、幕府は東北の6藩に蝦夷地警護を命じた。庄内藩には現在の石狩市など西蝦夷が割り当てられ、60(万延元)年にハママシケ陣屋を築いた。陣屋内には、日本海近くの丘陵を削って平らな場所を造り、奉行長屋や神社、土蔵、湯屋、兵糧や兵具の蔵、火薬庫などが設けられた。敷地面積は山林を含め16万7000平方メートルにも及んだ。
建物の造成跡が残り、海路を経て庄内からの建設資材を陣屋に運ぶために開削した「千両堀」と呼ばれた堀も残る。領内では防衛任務だけでなく開拓も目指し、8カ村の開墾を行い水稲や畑作の耕作、漁場開拓も進め、現在の浜益の礎となった。幕末期の国際情勢をうかがう遺跡として歴史的・学術的に高い価値を有しているとして1988(昭和63)年、国の史跡に指定された。
陣屋跡は草地となったままだったが、庄内藩の功績で築かれた貴重な文化遺産を後世に残したいと、地元の有志らが2014年、「荘内藩陣屋研究会」を立ち上げ、石狩市教委も16年度から本年度にかけ史跡の説明板を10基新設したほか、陣屋跡をたどるルートの整備にも乗り出している。
石狩市教委浜益生涯学習課の宇野博徳課長と、陣屋跡の復元を支援する鶴岡市出身の安達均札幌山形県人会長らが17日、来鶴し、鶴岡市の松本十郎を顕彰する会(酒井徹会長)のメンバーらと同市の東京第一ホテル鶴岡で懇談した。明治維新後に北海道開拓の責任者である開拓使大判官となった旧庄内藩士の松本十郎も、2年ほどハママシケ陣屋に勤めた。
宇野課長が映像で現在の陣屋跡の状況を説明し、「陣屋と8カ村の開墾は、鶴岡・庄内と北海道の歴史的なつながりを示すものだが、戊辰戦争で総引き揚げとなり、地元には史料が残っていない。庄内、山形県の方々の協力で研究を進め、ハママシケ陣屋跡の全容を突き止めたい」と協力を依頼した。
作家で松本十郎に関する著書もある北国諒星さん(本名・奥田静夫、札幌市)は「荘内藩ハママシケ陣屋跡は、北海道にとって未来の宝であり、地域振興の拠点となる可能性を秘めている。現地にまつわる逸話も多くあり、国や北海道、民間の支援も得て早期に復元整備し道民に広くアピールしていかねば。本家の皆さんの協力が欠かせない」と強調した。
札幌山形県人会の安達会長は「この懇談をキックオフにして、庄内・山形の人々と連携して庄内藩ゆかりの陣屋跡を広く紹介していきたい」と話した。
2018年(平成30年) 11月21日(水)付紙面より
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第12回緩和ケア市民公開講座が17日、鶴岡市の荘銀タクト鶴岡で開かれ、医師で作家の鎌田實氏が講演し、地域で支える緩和ケアについて理解を深めた。
鶴岡・三川地域の医療機関、訪問看護師、薬剤師、介護福祉分野が連携してつくる南庄内緩和ケア推進協議会(庄内プロジェクト)が主催。鎌田氏は「地域で命を支える?がんばらないけどあきらめない」と題し、長野県の諏訪中央病院でのがん末期患者への鎌田流緩和ケアの事例を中心に、チェルノブイリとイラクへの救援活動、東日本大震災の被災地支援の活動などを紹介した。
このうち諏訪中央病院の事例では、「高校生の子どもが卒業するまで頑張りたい」「もう一度山に登りたい」「ダンスを踊りたい」と希望を持ち、最後まで生き抜いた患者たちと、その希望をかなえようと患者やその家族に寄り添った温かな医療の在り方を紹介した。
鎌田氏が守り続けていることとして、「自分の命は自分で決める」「周りの人は誰かのために手を差し伸べる」の2つを挙げ、「延命治療を拒否するということではない。あいまいにしないで普段から家族や周囲に伝えておくことが大切」と話し、「一人でも理解してくれる人、優しい言葉を掛けてくれる人がいたら、その患者は力の限り生きていける。手を差し伸べることは誰にでもできる」と語り掛けた。