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荘内日報ニュース


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2023年(令和5年) 5月4日(木)付紙面より

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鶴岡「ほとりあ」 「マコモ」粉で焼き菓子づくり 生態や活用法まとめたパンフも製作 「マコモガレット」 5日まで限定販売

 鶴岡市馬町の市自然学習交流館ほとりあ(富樫均館長)は、大山地区の下池東側に広がる都沢湿地の再生活動の一環として、大型湿性植物の「マコモ」に関するパンフレットを製作した。湿地に広がるマコモを刈り取り、リースやコースターなどクラフト品に再利用するなど、資源活用の取り組みが紹介されている。また、粉末状にしたマコモをもとに、地元菓子店と協力して焼き菓子も製作。大型連休中のみ、ほとりあで限定販売する。

 マコモは湖沼や河川、水路などの湿地に生息する大型のイネ科の多年草。庄内では「カヅキ」と呼ばれている。2メートルほどまで伸びる背の高い植物で、泥中に地下茎を長く張り巡らせ、どんどん数を増やしていく。都沢湿地でも全体の約8割にマコモやヨシなど大型の植物が広がっているという。

 トンボやガムシなど水生昆虫の産卵場所となるほか、根茎はコハクチョウやヒシクイなど水鳥の餌になる。水質浄化の機能もあり、湿地の生態系にとって重要な役割を果たしている。その一方でマコモが増え過ぎると湿地の水面を覆い隠してしまう。ほとりあ副館長の上山剛司さんは「月明かりを反射する湿地の水面の光を頼りに水生昆虫や水鳥が集まってくる。マコモに覆われていると虫も鳥も湿地と分からず、背の低い植物は育ちにくい。人の手を加えないと多様な生物が生息できる環境にならないのは、都沢湿地再生の課題の一つと言える」と指摘する。

 ほとりあは2019年から本格的にマコモの刈り取りと資源活用プロジェクトを開始。刈り取りに合わせ、リースやしめ縄、コースター作りなどさまざまなワークショップを開催した。これによりクラフト作りに興味を持った地域の女性や子どもたちが湿地の再生活動へ参加するなど効果も上がった。

 こうした資源活用に向けた取り組みやマコモの生態、都沢湿地の紹介などをまとめたパンフレットが今年3月に完成。B5判のフルカラー、8ページ(表紙含む)で2500部を発行した。パンフレットはほとりあで入手できる。

 また、同プロジェクトの一環として、当初の19年からマコモを食べる活用方法を企画。マコモを苞(つと)に使った納豆づくりなどを進める一方、21年からTOTO水環境機器の助成を受けて粉末化に取り組んだ。翌22年にはさまざまな食品検査をクリアし、料理店や一般への販売が可能となった。

 今年4月下旬には地元大山地区の菓子店「旬菓処 福田屋」にマコモ粉末を使った菓子作りを依頼。同店がバターや小麦粉、アーモンド、コーヒーエキスなどを使ったフランス発祥の焼き菓子「ガレット」を製作した。

 上山さんは「マコモは古くから日本で食べられており、弥生時代より前の遺跡から種子が見つかっている。中国由来の真っ白な『マコモタケ』が知られているが、これはマコモに黒穂菌が感染した結果、茎が膨らんだもの。ほとんどが人の手で栽培されている」と述べ、「マコモの葉で作った粉末はビタミンや葉酸が多く含まれ、美肌や免疫力強化、貧血改善などに効果がある。マコモを知ることで湿地や環境保全に興味を持ち、マコモの刈り取り作業に参加する人が増えるなど、地域の力が湿地再生につながるよう取り組みを続けたい」と期待を寄せている。

 マコモガレットは1個200円(税込み)で、売り上げの一部は湿地保全活動に寄付される。3?5日の3日間、ほとりあで限定販売される。問い合わせは同施設=電0235(33)8693=へ。

マコモの生態や刈り取りなど資源活用の取り組みをまとめたパンフレット
マコモの生態や刈り取りなど資源活用の取り組みをまとめたパンフレット

粉末化したマコモを使用した「マコモガレット」=ほとりあ提供
粉末化したマコモを使用した「マコモガレット」=ほとりあ提供


2023年(令和5年) 5月4日(木)付紙面より

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車衝突幼児含む3人死亡 山形自動車道 田麦俣トンネル 2人重傷、庄内への観光途中

 庄内地方への家族旅行が暗転した―。2日午後2時10分ごろ、鶴岡市田麦俣の山形自動車道田麦俣トンネル(全長1921メートル)内の上り線で、横浜市青葉区新石川一丁目、会社員、早坂覚啓(あきのり)さん(29)の乗用車と上山市川口、会社員、佐竹雅樹さん(24)の乗用車が衝突し、佐竹さんの車が全焼した。2台の車に乗っていた男女計5人が鶴岡、酒田両市の病院に搬送されたが、幼児を含む3人の死亡が確認された。

 県警高速道路交通警察隊によると、死亡したのは早坂さんの乗用車に乗っていた妻で無職の未空(みく)さん(24)と長男の青遥(あおは)ちゃん(1)、佐竹さんの乗用車に乗っていた祖母の茨城県常陸太田市中利員町、石川和美さん(73)。死因は後部座席に同乗とみられる未空さんが気道閉塞、後部座席の青遥ちゃんが心臓損傷、助手席に同乗の石川さんが出血性ショック。3人は心肺停止の状態で鶴岡市立荘内病院と酒田市の日本海総合病院に搬送され、その後、死亡が確認された。早坂さんは腹腔内出血で、佐竹さんは左腕骨折で、ともに重傷。

 現場は片側1車線で、制限速度70キロ。鶴岡市街地方面に向かって下り線を走行していた早坂さんの乗用車が樹脂製のポールで隔てられた簡易中央分離帯を越えて対向車線にはみ出し、上り線を走っていた佐竹さんの車に衝突した。

 早坂さん家族は庄内地方に観光で向かう途中、佐竹さんと石川さんは庄内での観光から帰宅途中だったという。

 事故のため、山形自動車道湯殿山―庄内あさひインターチェンジ間は約6時間にわたり全面通行止めとなった。

 県警の誘導で同日午後6時半過ぎ、報道陣が現場に入った。湯殿山インターチェンジから鶴岡方面に向かって最初のトンネルで、坑口から300メートルほど入った上り線に衝突した2台の乗用車があった。ともに壁面を向く形で停止していた。

 下り線を走っていた早坂さん運転の仙台ナンバーの乗用車は前部がつぶれ、内部がむき出しだった。炎上した佐竹さんの車は元の車体の色が分からないほど全体が激しく焼け焦げ、前輪のタイヤはゴムが溶け、ホイールだけになっていた。周りには飛び散ったガラス片などが散乱していた。路面には、車が対向車線にはみ出したルートをなぞったとみられる白いチョークの跡があった。県警が詳しい事故原因を調べている。

乗用車2台が衝突し、3人が死亡した事故現場=2日午後6時43分、鶴岡市田麦俣
乗用車2台が衝突し、3人が死亡した事故現場=2日午後6時43分、鶴岡市田麦俣


2023年(令和5年) 5月4日(木)付紙面より

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静けさの中自分自身見つめ直す 荘内看護 野外研修 善寳寺で座禅 精神統一

 鶴岡市立荘内看護専門学校(鈴木聡校長)の野外研修会が2日、同市下川の善寳寺(水口道雄住職)などで行われた。看護師を目指す学生たちが座禅を組み、静けさの中で自分自身を見つめ直した。

 同校は看護師としての専門的な知識・技術・態度の醸成や地域に貢献できる人材育成を教育目的に掲げており、基礎となる豊かな人間性を築くため毎年野外研修会を行っている。主に鶴岡市内を巡って地域の歴史や自然に触れ合う機会としており、2年ぶりの実施となった昨年は羽黒山に登った。

 今回は1?3年まで学生48人が全員参加。本堂でご祈祷を受けた後、別室に移動し座禅に挑戦した。指導した同寺広報室の篠崎英治さんは「心や体が弱っている人に安心を与える方法はいろいろある。弱っている人に引きずられて心が弱るのではなく、座禅を通して心の揺れ動きを抑えるやり方を静けさの中から学んでほしい」と説明した。

 手や足の組み方、正しい姿勢、座禅中の心の置き所などについて説明を受けた学生たちは、静寂の中で自分自身を見つめ直した。2回に分けて計15分の座禅を終えた学生たちは晴れ晴れとした表情を見せていた。

 1年の成澤美和さん(鶴岡市)は「雑念に惑わされず、過去や未来を思うよりも『いま・ここ・わたし』という考え方がとても勉強になった。しっかりと意味をかみ砕き、いつか患者さんに自分の言葉で伝えたい」と話していた。

 学生たちは午後から同市大山地区の下池周辺を散策し、地域の自然に触れた。

学生たちが座禅を組み、自身を見つめ直すことを静けさの中から学んだ
学生たちが座禅を組み、自身を見つめ直すことを静けさの中から学んだ


2023年(令和5年) 5月4日(木)付紙面より

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家臣団の中でも突出した存在 酒井家庄内入部 401年特別展記念 平野さんが「酒井忠次」語る

 鶴岡市の致道博物館で開催中の酒井家庄内入部401年特別展「徳川家康と酒井忠次」を記念した講演会が4月30日、同市本町一丁目の荘銀本店ホールで開かれた。日本史学者の平野明夫國學院大兼任講師が「酒井家の歴史と徳川家康」と題して講演し、徳川四天王筆頭に挙げられる旧庄内藩主酒井家初代・忠次について、「家康の家臣団の中でも突出した存在だった」と語った。

 平野さんは日本の中世史研究の中でも家康に関わる東海や関東地方の歴史研究の第一人者で、「三河松平一族」「徳川権力の形成と発展」などの著書がある。

 講演で平野さんは酒井家の発祥や酒井家の左衛門尉(さえもんのじょう)家と雅楽頭(うたのかみ)家の関係、家康と左衛門尉家の忠次との関わりについて、古文書を基に解説した。

 左衛門尉家は家康の祖父・清康の時代から松平(徳川)家の家臣団の一員となり、忠次は家康の時代の初期からすでに家臣の中心的存在として家康を支えていたとした。

 家康家臣団の「2大巨頭」とされる忠次と石川数正に関して、忠次が吉田(豊橋)などの東三河の統治を任せられたのに対し、数正は岡崎など西三河統治の責任者だったとされる点について、「古文書を見ると忠次に対する書状はあるが、数正へのものは見つかっておらず、西三河は家康自身が統治していたと言えるのではないか」と解説した。

 その上で、今回の特別展に展示されている永禄7(1564)年6月の書状「松平家康判物」(致道博物館蔵)について、「家康が忠次に東三河の統治を任せるとした文書で、左衛門尉家にとっては大変重要な史料。一見の価値があり、ぜひ見てほしい」と呼び掛けた。

 記念講演会には市民や歴史ファンら約140人が訪れ、質疑応答で織田信長が絡んで家康の嫡男・信康が自害した「信康事件」の真相を尋ねるなど、活発な意見が交わされた。

記念講演会で家康と忠次の関係などについて語った平野さん
記念講演会で家康と忠次の関係などについて語った平野さん


2023年(令和5年) 5月4日(木)付紙面より

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壮大な世界の名峰 山岳写真家・故白籏史朗さん作品展 酒田市美術館

 生涯にわたって世界中の名峰を撮影した山岳写真家、故白籏史朗さん(1933―2019年)の作品展「心に山ありて幸いなり」が、酒田市飯森山三丁目の市美術館で開かれ、多くの来館者を魅了している。

 白籏さんは山梨県大月市(旧廣里村)出身。1966年に山岳写真家として独立し、欧州アルプス、ヒマラヤ、カナディアンロッキー、日本アルプス、富士山、鳥海山など、世界中の山を撮影してきた。77年に日本写真協会主催の協会賞を受賞、2000年にはスイスの「キング・アルバート1世記念財団」から山岳写真家として世界で初めて功労勲章を受けた。15年まで、ヘリコプターなどを使わず自らの足で山に登ることとフィルムカメラでの撮影にこだわり、活動を続けた。

 白籏さんの父が酒田市(旧八幡町)の出身であったことから、鳥海山を「父の山」と呼んで幾度となく登頂し撮影。同館の市民ギャラリーで展示会を開いたことや、亡くなる1週間前に酒田の文化・芸術振興のために鳥海山の写真データ100点を寄贈した縁などから今回、美術館の企画展として東北初となる作品展を開催した。

 これまで雑誌などに掲載された作品を中心に、未発表のものも含め計113点を展示。キャプションには自著から抜粋したエピソード、「鳥海山・飛島ジオパーク推進協議会」の協力によるジオストーリーなどを添えている。

 同館学芸主任の武内治子さんは「スランプから再起するきっかけとなった尾瀬の写真や、日本高山植物保護協会会長として撮影した野生動物や高山植物など、生前には発表しなかったものも多くあり、白籏さんの新たな一面も作品から感じ取ってもらえたら」と話した。中には縦2メートル、横2・5メートルの大判パネルで紹介した作品もあり、来館者は迫力ある壮大な写真を食い入るように見つめていた。

 展示は6月25日(日)まで。時間は午前9時―午後5時(最終入館4時半まで)。観覧料は一般900円、高校生450円、中学生以下無料。

世界の名峰を撮影した山岳写真家、白籏史朗展
世界の名峰を撮影した山岳写真家、白籏史朗展



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