2024年(令和6年) 3月20日(水)付紙面より
ツイート
県内唯一の有人離島・飛島の江戸時代の歴史に焦点を当てた企画展「庄内藩と飛島」が、鶴岡市の致道博物館で開かれている。北前船の寄港地としての機能、島内で起きた境界争い、生活文化などを古文書や民俗資料で紹介している。
地域の歴史を古文書などの資料から読み解き、さまざまな切り口で紹介する「歴史の扉」シリーズの5回目として企画し、同館所蔵や個人所有などの歴史資料約50点を展示した。
江戸時代に飛島を領有していた庄内藩は毎年3月から9月の間、島役人2人を派遣して年貢(スルメ)や北前船の入港税を徴収し、島内で問題があれば解決に当たっていた。
島には勝浦、浦(現在の中村)、法木の3カ村があり、漁場を巡ってたびたび境界争いが起きていた。展示品の中には、庄内藩の役人が絵図を基に境目を裁定した資料があり、島内の村落間の境目に引いた線の延長線上の海域をそれぞれの村の漁場の境目としたことが分かる。飛島からはスルメ10万枚が年貢として納められ、庄内藩主酒井家11代・忠発(ただあき)公が幕府にスルメ1箱を献上した際の目録の写しも展示された。
最上家が統治していた江戸時代初期、島に海獣のトドの姿が見られたためか、飛島を「とど島」と表記した古文書、江戸末期に英国船が着船したことを伝える絵図入りの「御用控」、幕末に飛島沖で沈没した幕府の軍艦「長崎丸二番」に積載され、海底から引き揚げられた英国製の大皿、飛島を背景に北前船を描いた珍しい構図の風景画などもある。
縄文時代の土器などの考古資料、致道博物館による1969(昭和44)年の発掘調査で、島内にある洞窟の通称「テキ穴」から見つかった平安時代のものとみられる人骨なども展示され、飛島にまつわる多様な歴史を掘り下げて紹介している。
会期は4月23日(火)まで。同13日(土)には展覧会場で、担当学芸員によるギャラリー講座が開かれる。