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荘内日報ニュース


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2022年(令和4年) 09月14日(水)付紙面より

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藤沢周平さんのエッセー集「小説の周辺」中国翻訳版 「魯迅文学賞」を受賞

 鶴岡市出身の作家・藤沢周平さん(1927―97年)のエッセー集「小説の周辺」の翻訳版(中国語簡体字版)が、中国で最も栄誉ある文学賞の一つとされる「魯迅文学賞」の翻訳文学部門に決まった。文藝春秋が13日までに発表した。

 文藝春秋によると、魯迅文学賞は、中国作家協会によって1995年に創設。97年の第1回以来4年ごとに受賞作品が発表され、今回が8回目。同賞を日本人作家が受賞するのは、2007年の大江健三郎さんの小説「さようなら、私の本よ!」以来2人目。同賞の選考委員は藤沢さんの受賞作品について「滑らかな語り口のうちに穏やかさと知恵が満ちている」と評している。

 「小説の周辺」は、藤沢さんが郷里・鶴岡での幼年時代、師や友との交流、創作の秘話などをつづったエッセー集で、1990年に文春文庫として刊行された。藤沢さんの長女でエッセイストの遠藤展子さんは「驚きとともに大変感謝しています。翻訳をしてくださった竺祖慈先生に心より御礼申し上げます。父の没後25年の年に、名誉ある賞をいただけたのは、作品に関わってくださった多くの方々と読者の皆さまのおかげです」とコメント。鶴岡市立藤沢周平記念館の沼沢紀恵館長は「藤沢さんの作品が海外からも認められ、大変うれしく思う。今後も藤沢作品がより多くの人から読み続けてもらえるよう努めていきたい」としている。

藤沢周平さん
藤沢周平さん

中国語簡体字版 訳林出版社(上)「小説の周辺」藤沢周平著 文春文庫
中国語簡体字版 訳林出版社(上)「小説の周辺」藤沢周平著 文春文庫


2022年(令和4年) 09月13日(火)付紙面より

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清河八郎は旅する思想家「ペリー来航事前に知っていた」八郎の先見性など解説

 幕末期の幕臣・山岡鉄舟や高橋泥舟を研究する岩下哲典・東洋大文学部教授の研究報告会「清河八郎と尊攘派幕臣」が10日、庄内町の響ホールで開かれ、清河八郎の先見性などについて解説した。

 岩下さんは1962年長野県生まれ。青山学院大文学部卒。国立歴史民俗博物館客員助教授、明海大教授を経て現職。歴史学博士。今回は鉄舟、泥舟の伝記執筆のため両者と親交の深かった清河八郎の調査・研究で庄内を訪れた。

 この日の報告会は清河八郎記念館が主催し、県内外の歴史ファンら約200人が参加した。

 岩下さんは「清河八郎は『旅する思想家』だと思う。西の吉田(松陰)、東の清河と言われ、武も文も立つ人物だが、松陰に比べ損をしており、あまり知られていない。松陰には藩主の庇護があり、清河にはそれがなかった。また、松陰には有名な弟子がいて、明治以降各分野で活躍したが、清河にはあまりいなかった。松陰に比べ先んじていた部分も多い人物」などと松陰と対比して解説した。

 清河八郎が1848(嘉永元)年に関西、56(安政3)年に九州を旅して見聞を高めたことを挙げ、ペリー来航前の動きとして「清河が父親に宛てた手紙を見ると、ペリーが来ることを事前に知っていた可能性が高い。漢学塾や九州諸藩の同志からの情報収集の成果だろう。旅で得た人脈がその後の情報収集や分析に大きな影響を及ぼしたと考える。尊王攘夷派で開明派ではないとされていたが、見直すべきでは。ペリー来航前においては松陰よりも清河の方が一歩先んじており、近代化への志向という点では先覚者」などと紹介した。

 来場者はメモを取るなど熱心に聞き入っていた。

岩下さんが清河八郎について解説した
岩下さんが清河八郎について解説した


2022年(令和4年) 09月11日(日)付紙面より

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致道博物館特別展第4部 藩祖酒井忠勝 400年の基盤整えた事績たどる 10月31日までの会期中記念イベント多彩に

 旧庄内藩主酒井家の入部400年を記念した特別展第4部「藩祖 酒井忠勝」が10日、鶴岡市の致道博物館で始まった。酒井家3代で、元和8(1622)年10月に初代藩主として庄内に入部した酒井忠勝(ただかつ)公(1594―1647年)に関する約60点の歴史資料や美術・工芸品の展示を通して、酒井家400年の基盤を整えた藩祖の事績をたどっている。10月31日までの会期は400年前の入部の節目にも重なり、特別展にちなんだ多彩な記念イベントが繰り広げられる。

 忠勝公は酒井家2代・家次(いえつぐ)公の長子として生まれ、元服の際には江戸幕府2代将軍・徳川秀忠から「忠」の一字を拝領。元和元(1615)年の「大坂夏の陣」に父と共に出陣し、初陣を飾った。元和4年に越後高田城で家督を継ぎ、同5年に信州松代領主となり、最上家の改易によって同8年10月に庄内に入部した。

 特別展は、最上家時代の庄内統治、忠勝公の庄内入部、城郭や町割りの整備、忠勝公が求めた名品など6つのテーマに分けて生涯をたどっている。

 信州松代から出羽庄内へ転封(てんぽう)を命じられた忠勝公は、家臣を庄内に派遣。家臣は庄内について、北の鳥海山や東・南の出羽三山の山々、西には限りなく広がる青い海があるとして庄内は豊かな“天府の国”と報告し、忠勝公を安心させたとする「大泉叢誌」(江戸時代後期に庄内藩士が編さん)の一節を紹介。入部以来、鶴ケ岡城と城下の整備を進め、現代に続く鶴岡市街地の町割りを整えており、江戸時代前期の城と城下の様子を表した5畳ほどの大きさの絵図も展示した。

 忠勝公は歴代当主の中でも特に多くの美術・工芸品の名品を求めた。展示されたいずれも国の重要文化財「短刀 銘吉光(名物信濃藤四郎)」「無準師範筆 禅院額字『潮音堂』」は、それぞれ3000両(現在の貨幣価値で約1億5000万円)ほどで求めたとされている。熊本藩主加藤忠広公(清正の子)の庄内藩預かり、「酒井長門守一件」と称される忠勝公の実弟によるお家騒動にまつわる資料も展示し、庄内入部後の治政の出来事も紹介している。

 特別展に合わせ、今月24日には鶴岡市出身の上林恒平刀匠によるトークと「刀剣乱舞ONLINE」コラボによる宣伝隊長おっきいこんのすけ来館のイベントがある。刀剣男士・信濃藤四郎の等身大パネルも展示。また、会期中は市内の飲食店・菓子店との連携で致道博物館のトレーディングカードをプレゼントする「城菓飯(じょうかめし)めぐり」のコラボ企画も展開される。

庄内藩の藩祖・酒井忠勝公の事績を紹介した致道博物館の特別展
庄内藩の藩祖・酒井忠勝公の事績を紹介した致道博物館の特別展

致道博物館と市内の飲食・菓子店のコラボ企画「城菓飯めぐり」も始まった
致道博物館と市内の飲食・菓子店のコラボ企画「城菓飯めぐり」も始まった



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