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2009年(平成21年) 7月23日(木)付紙面より

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庄内浜のあば 悲哀と快活と歴史と ―19―

過労死寸前の仕事量

寝る時間もなく

 魚行商のあばたちは、「寝る間も惜しんで働いた」のではなく、「寝る時間さえなく働いた」との言い方が当たるのだろうか。鶴岡市鼠ケ関のあばの中には午前2時半に起き、重い魚箱を背負って列車に乗った。遊佐町吹浦の女性は、午前1時に家を出、歩いて酒田に向かった。今では考えられない仕事量と家事が、女手にのしかかっていた。

 あばの生活を知る貴重な調査がある。旧山形城北女子高校(現・山形城北高校)郷土研究部の研究誌「庄内浜の村・汀線の変化と民俗について」だ。1959(昭和34)年から3年間の調査で、庄内浜の姿をまとめた。その中から「浜のあば」の項を引く(要旨)。

 〈庄内浜の年配の婦人を俗に「アバ」と呼んでいる。一家の主人が仕事や出稼ぎで留守の間、家計一切を担当して生計を立てなければならないので、年配のアバの権限は強かった。アバたちは砂丘地での農業、魚の行商、日雇い土木工事で働いて収入を得ているが、特に漁家のアバは相当の労働過重に見える。沿岸漁業の不振が、アバたちの労働過重を増加させているようだ〉

睡眠は農村の半分

 夏の間の漁村の主婦の日課をグラフで見ると、過重な労働ぶりが一目了然だ。グラフは山形城北高郷土研究部が作成したものだが、浜のあばは午前3時ごろに起き、午後11時に就寝するまで一息つく時間、娯楽、自由といえる時間、子供と接する時間がほとんどないばかりか、睡眠時間は4時間しかない。グラフにある早朝と午前の畑仕事の時間は、行商のあばたちは魚を売り歩いている時間帯だ。

 一方の内陸農村部の主婦は、午前5時起床、昼食の準備から昼休み時間もたっぷりあり、子供の世話や夕食後の娯楽時間にもゆとりがある。漁村部の主婦の睡眠時間が、農村部の約半分しかないことに、高校生らは研究誌で「保健上注意しなければならないことだ」と指摘している。

労賃は半人前

 あばの様子について、1914(大正3)年3月の山形新聞は、遊佐町吹浦の現状と生活様式などを紹介し、「民情質実勤労をいとわない美風」の地区と評し、「女子の労働」の見出しで次のような記事を載せている。

 〈女子は毎朝午前1時前後に、男のような装いをして、海産漁獲物や野生の筍、蕨などを背負い、面白い節回しの俗謡を声高に口ずさみながら、いくつかの班ごとに数里離れた酒田や近隣の町村の家々に売りに行く。真夜中に出掛けるのは、売り先の朝食に間に合わせるためだ。その快活さには男も顔負け〉などと書いている。

 高校生が調査したころは、港がない庄内の「砂浜漁村」では地引網漁が盛んだった。研究誌では「漁で水揚げが少なければ網を仕掛ける回数が増え、当然網揚げも多くなる。結果としてしわ寄せはあばに掛かってくる」と指摘している。

 家事、網揚げ、行商―。あばたちの労働は、今風で言えば過労死寸前の激務。立場が弱いあば(嫁)は、網揚げでの労賃も、どんなに働いても男の半人前としてしか扱われなかったという。

(論説委員・粕谷昭二)

行商を終えての昼食。世間話をしながらひと息つく=鶴岡市の田川地方行商協同組合で
行商を終えての昼食。世間話をしながらひと息つく=鶴岡市の田川地方行商協同組合で



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