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荘内日報ニュース


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2009年(平成21年) 7月29日(水)付紙面より

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庄内浜のあば 悲哀と快活と歴史と ―20―

行商は自由で楽しい時間

嫁は行商で一息

 民俗学者の戸川安章氏は著書『出羽修験の修行と生活』で、農漁村の嫁について次のように書いている。

 〈娘時代は実家で幸せな時期を過ごすが、嫁ぎ先では小遣い銭を与えられることもなく、自分で使える金がなかった。里帰りした時に実家で小遣い銭をもらってくるが、そのことが嫁ぎ先の姑らに知れると「いつまでも里心が抜けない」と叱責された〉と。

 一方、農家の嫁の中には夫と一緒に鶴岡市内まで野菜をリヤカーに積んで売りに行ったり、庭先で飼育している鶏卵の売上金は嫁の収入とする家もあった。戸川氏はこの収入のことを「主婦の財布(ないしょ・わたくし)」と言い表している。

 似た記述が旧山形城北女子高校(現・山形城北高校)郷土研究部の研究誌『庄内浜の村・汀線の変化と民俗について』にもある。

 〈年輩のあば(姑)の権限は強く、若いあば(嫁)の立場は弱かった。自由な時間もままならなかったことから、若いあばにとって行商に出掛けている時間は、姑の目から離れることができる自由な時間であり、多くの人と接触できる楽しい時間でもあった〉と。

浜から街へ直行

 浜のあばたちが、朝暗いうちから仕事を始めるにはそれなりの理由があった。前夜に始末できる魚はともかく、鮮度を保ち、高値で売る魚は売りに出掛ける直前に内臓処理しなければならなかった。また、内臓ごと背負ったのでは荷が重くなり、多くの魚を担ぐためにも暗いうちに起きて仕事をしたのだ。

 魚を担いできたあばは、鶴岡駅でバスに乗り換え、農村部に向かった。農家の人たちが仕事に出掛ける前に家を訪ねるためだ。

 とにかく浜のあばたちは働き者だった。そんな様子を『湯野浜の歴史・開湯伝説から900年』(湯野浜地区住民会刊)で、古老たちが定置網、イワシ流し網、地引き網の思い出の中で語っている。

 〈昼ごろ出港して夕方から午後9時ごろまで操業。午前0時ごろ浜に戻り、魚を網から外し終えるころには夜が明けかけている。魚は浜での卸売はしないで、あばたちが朝食もそこそこに鮮度のいい魚を「振籠(ふりかご)(魚籠)」を担いで大山町(当時)や鶴岡市まで売りに行った。大漁の時は10貫目(約37キロ)も担ぎ、駆け足で出掛けて行った〉

 振籠を担いで出掛けるあばたちの姿は、短い着物に紺のもんぺ、わらじ履き。腰に弁当袋を下げる程度の軽装だったが、雨の日はみのが濡れて重くなり、道中が大変だった。

子供も一人前

 古老たちの話は、戦前から昭和30年代までの漁業とあばたちの様子を語ったものだ。戦前の湯野浜では、小学校高等科1年(今の中学1年)になって仕事を手伝えば、大人1人分の魚を分けてもらえた。学校を休む生徒も多くいて、先生に叱られたとの懐古談も載っている。

 漁村で子供を一人前に扱った背景には男手不足があった。漁業だけでは生計維持が難しく、男が出稼ぎに出た留守中は、すべての仕事が主婦(あば)の肩にかかっていた。

(論説委員・粕谷昭二)

天秤棒で魚箱を担ぎ、農村部を行商して歩くあば=酒田市本楯で、酒井忠明さん撮影・酒井家提供(左) 街にまだ人通りのない早朝に商売するあば。行商は昼すぎに終わる=鶴岡市日吉町で
天秤棒で魚箱を担ぎ、農村部を行商して歩くあば=酒田市本楯で、酒井忠明さん撮影・酒井家提供(左) 街にまだ人通りのない早朝に商売するあば。行商は昼すぎに終わる=鶴岡市日吉町で


2009年(平成21年) 7月29日(水)付紙面より

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部活動も体験 マ市の中高生が三川へ

 三川町と友好都市の盟約を結ぶ米国・テネシー州マクミンビル市の中高生たちが、26日から来月3日までの日程で来町、ホームステイや地元中学生との交流を楽しんでいる。

 マ市との交流は、テネシー州に現地法人を持つ三川町の進出企業の仲介で1994年にスタート。以来、1年おきに中高生が訪問し合うなど交流を続けている。

 今回はマ市の13―15歳の中高生10人が来庄。引率者とともに24日に来日し東京を観光した後、26日に庄内入りした。滞在中は町内の中高生宅にホームステイし、住民レベルで交流を深めている。

 28日は三川中学校(森晃校長)を訪問。部活動などで登校した生徒約200人が歓迎セレモニーを開いた。両生徒代表のあいさつや歓迎の校歌斉唱などの後、同校の部活動を見学・体験した。

 マ市の生徒たちは柔道や剣道、野球、ブラスバンド、サッカーなどのうち、興味を持った部活動に足を運んだ。このうち野球部の練習では、キャッチボールや打撃練習に参加。痛烈な打球を飛ばすと歓声が上がっていた。

 また、武道場では竹刀を手に、「面」や「胴」、「小手」の打ち込みを習った。剣道は見るのも体験するのも初めてというフェイス・ブラウンさん(14)とレイチェル・ノークスさん(13)は「難しかったが、三川中の生徒がとても優しく教えてくれた。素晴らしい経験ができた」と話していた。

 一行は今後、鶴岡市立加茂水族館や酒田市の花火大会を見学し、来月3日に帰途に就く。

生まれて初めて竹刀を手にし、打ち込みに挑戦するマ市の生徒
生まれて初めて竹刀を手にし、打ち込みに挑戦するマ市の生徒


2009年(平成21年) 7月29日(水)付紙面より

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おじゃまします 鶴岡市内中学生 大先輩訪ね人生勉強

 鶴岡市の中学生訪問体験交流事業「おじゃまします大先輩」が27日に始まり、生徒たちがさまざまな人生経験を持つ高齢者を訪問し、人生の大先輩から体験談を聞きながら交流した。

 同じ地域で暮らす若い世代と高齢者との交流の機会を設けようと、同市社会福祉協議会が10年ほど前から毎年、夏休み期間に実施している。今回は鶴岡一、三、四、豊浦の4中学校から男女計40人が参加。2人1組に分かれ、20人の大先輩宅を訪問する。27日と各自が決めた日との2日間の日程で、これまでの経験から得たものを教えてもらったり、趣味の話をしたりして“人生勉強”を積む。

 初日の27日は、同市の三瀬コミュニティセンターでオリエンテーションを行った後、各組がそれぞれ大先輩宅を訪問した。このうち鶴岡一中2年の榎本菜摘さん(13)と鈴木里奈さん(13)は、同市馬場町の石原和子さん(79)宅を訪れた。これまでの人生で一番苦労したことはとの問いに、石原さんは「苦労だらけだったけど、2人と同じ年ごろに経験した戦争のときの苦労は生涯忘れられない。怖いのと食べたいものも食べられない食料難は本当につらかった」と語り掛けた。石原さんの体験談を聞いた2人は「戦争を体験した人が身近にいないので、とても勉強になりました」と感想を話した。

人生の大先輩の話を聞いて交流する中学生
人生の大先輩の話を聞いて交流する中学生



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