2025年(令和7年) 5月3日(土)付紙面より
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酒田市松山地域にある中山神社(白井知行宮司)の例大祭「松山まつり」が1日、同地域中心部で行われ、呼び物の「武者行列」(酒田市指定無形民俗文化財)で、武具甲冑(ぶぐかっちゅう)の武者たちが勇ましく練り歩いた。
同神社は、江戸前期の1647(正保4)年に庄内松山藩の初代藩主・酒井忠恒公が立藩した翌慶安元年に創建。その後、庄内藩祖・酒井忠次公と、徳川家康の嫡男・信康公を祭るために社殿を造営した。信康公を祭るのは、織田信長の命で同公が切腹した際、忠次公が深く関わっていた縁。
武者行列は、1757(宝暦7)年ごろから祭典の神輿(みこし)渡御を警護したのが始まりといわれ、250年以上続いている。今年は中山神社の氏子や東部中学校の生徒ら約100人が参加した。
この日は晴天で絶好の祭り日和。午後1時に神社前を出発。かみしも姿の武者を先頭に、鉄砲組や弓組、足軽組、騎乗の行列奉行、侍大将らの鎧(よろい)武者が、松山歴史公園や内町など中心部約4キロを3時間ほどかけて練り歩いた。
このうち、松山歴史公園では、松山城大手門(県指定有形文化財)をバックにした姿が特に“絵”になることから大勢の見物客が待ち受け、盛んにカメラのシャッターを切るなど歴史絵巻を楽しんでいた。